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鍋島中学校

 今年の末頃にはかなりの集団免疫が達成されると期待出来ます。その頃に講演を再開しようかなと思ったところに佐賀市立鍋島中学校の貞包校長からオファーが来ました。貞包さんはマンガ本のエピソードに使わせてもらったほどのガチの実践者でした。

 ご存じの通り、私の講演は高額です。九州への講演だと半端ない金額になります。しかし、貞包さんは用意していただき、呼んでいただけました。久しぶりの講演、楽しみです。

 日時は12月15日です。

 佐賀と上越の間の学校で講演を頼みたいと言われる場合は、ガイドライン(http://goo.gl/mkZf6O)の2に該当します。その結果、かなり安く呼ぶことが出来ます。ただし、12月14日か16日に限らせていただきます。お申し込みは8月10日までとさせていただきます。なかった場合は、寄り道せずに帰ります。なお、1月から3月は雪に閉ざされるので遠方の講演は難しくなります(上杉謙信、柴田勝家のようなものです)。

現役

 私は講演会で自分に課している二つのルールがあります。

 第一は、マイクを使わず地声でやる。これは大ホールでも同じです。ただし、「今日は声のテクニックを使わず、しっとりとやろう」と思ったときはマイクを使います。

 一方、第二のルールは絶対です。それは時間を守ることです。その時間は私が決めません。相手方が2時間といえば、2時間。1時間と言えば、1時間。15分と言えば、15分。5分と言えば5分。私も教師なのですから、時間に合わせて話を組み立てることは当然です。

 私はゼミ生を「叱る」ことは希です。でも、「叱る」場合は希にあります。その多くは与えられた時間を超えて発表する場合です。その時は、時間は全ての人にとって大事なものだから、それを尊重しなければならないことを諭します。いつもはニコニコしている私が真面目に諭すのですから、ゼミ生にとっては怒鳴られているような印象なのでしょう。だから、ゼミ生は時間を守ります。

 時間を守れないのは、ようは聞き手の都合を考えず、自分の都合ばかりだからです。そんな自分の都合でしゃべっているものに内容はありません。今までの人生において、時間を超えてしゃべった講演、学会発表に実があったことはただの一回もありません。まあ、当たり前です。ようは酔っ払いのくだ話なんです。もし、本当に話したいことがあるならば吟味し、精選し、時間を計って、予定に組み込んでいるはずです。ところが、それをせず、その時の気持ちのままに話すならば、それは酔っ払いのくだ話と同じです。

 国家的行事で、それがなされたならば、残念です。

追伸 私が講演の時間を守れなくなったら、教えて下さい。引くときです。

https://toyokeizai.net/articles/-/443069?display=b&fbclid=IwAR1H_jaeZIwD-8SIYzd0x_316Hd0lsHvj3O4mnWoMtGluzI4_oHANrR_Bak

幸せ

 私が人生で、最も嬉しかったトップ3は、以下の通りです。

英語の偏差値が27だった私が筑波大学に拾ってもらった。

プロポーズした家内にOkをもらった。

家内のおなかに子どもがいることが妊娠検査薬で分かったときです。

 いずれも腰を抜かし、号泣しました。

 新ゼミ生と毎週対話し続けていますが、徐々に頭の中に「ミニ西川」が形成されてきているので、質問がなくなるのです。彼らは自分の人生や幸せのことを聞きます。(詳しくはユーチューブの西川研究室をご覧下さい)本日も、そのような質問がありました。それに対して、私の一貫した応えは、「家族仲良く、健康で」が幸せの根幹であることを語ります。

 イギリスの劇作家のバーナード・ショウは就職すれば人生の悩みの半分はなくなると言いました。そうだと思います。私の時代において筑波大学に入学した時点で、ある程度の就職は保障されていました。その意味で第一の関門は突破です。(今は違いますよ)

 悩みの残りの半分の半分は一生涯を過ごしてくれるパートナーがいれば大丈夫です。

 悩みの残りの四半分の半分は子どもを得たら大丈夫だと思います。

 と、思っています。だから、家内のおなかの中に子どもがいることが分かったとき、「これで人生の8分の7の幸せを得た、後はおまけだ」と思いました。

 今後も、ゼミ生は「幸せ」を私に聞くでしょう。私は何度も同じことを語ります。そのうちに『学び合い』以外でもミニ西川が語るようになります。

 でもね、『学び合い』のセオリーと私の幸せのセオリーも、実は同じなんだけどね。

 まあ、これから波乱の実社会に飛び込む学生に語るとき、分からないであろう表情を見ていると、心の底から可愛いと思います。それを語っている時、現職のゼミ生は微笑んでいます。ま、分かっているのでしょう。

前回と同じ

 私が5歳の時に前回の東京オリンピックがありました。その時の記憶は一つだけです。閉会式がテレビで流れるときに、母親から「いつも通りの番組が見られるよ」と言われて喜んだ記憶です。おそらく、テレビのどのチャンネルを回してもオリンピックばかりで、私の好きな番組が見られなかったです。

 もともとスポーツ観戦の趣味はありません。工業化社会のコードに敏感に感じて避ける傾向があります。ということで積極的に見ることはありません。今回のオリンピックと同じです。見たい番組が見られないのが残念です。ビデオに撮りためたものを見ることでしのいでいます。