■ [大事なこと]今年分かったこと
毎年、毎年、私にとってワクワクするようなことが研究によって分かります。今年分かったことに関して、Kさんが学会発表します。時間の関係で、聴衆の方には分かりずらいところもあるかもしれません。なにより、学会に参加しなければ、論文や本として公開されるのは数年先まで知ることが出来ません。そこで、簡単な要約を書くこととしました。
Kさんは、異学年による学び合いを研究しています。その中で分かったことは大きくは3つです(今の時点ですが)。
1.異学年による学び合いは、簡単に出来る。
2.「じゃれ合い」はとても良いものだ。
3.良い学び合いが成立すると、高学年-お兄さん・お姉さん、低学年-妹・弟という関係が崩れる。
1は我が研究室の連綿として出している結果と連なるものです。学び合いは難しいと思っている方も多いですが、実に簡単に成立します。異学年だと、もっと難しいと思っている方も多いですが、実は簡単に出来ます。
授業中に私語やふざけ合いをした場合、教師にとっては困ったことですよね。でも、じっくりと子どもたちを分析すると、私語やふざけ合いをしている班の方が素晴らしい面が多いこと分かりました。これは、3月に修了したFさんが指摘したことですが、Kさんが実証的データで出してくれました。それも、班内の話し合いという場面以外にも広がって示してくれました。
3がKさんのオリジナルな部分です。私の「学び合う教室」を書いている段階では、「高学年-お兄さん・お姉さん、低学年-妹・弟」という枠組みが色濃く出ています。ところが、Kさんの結果は、いとも簡単に私の囚われを解放してくれました。分かってみれば、すぐに納得できます。なんとなれば、私の毎日の生活がそれを示しています。
上教大のOBの方ならすぐに分かるのですが、私とボスのT先生は、まさにじゃれ合っています。私のT先生への話しぶりや行動を初めてみた方はビックリされるでしょう。とても、20歳年上の直属の教授に対する話し方、接し方ではありません。他大学の先生から、「西川君、T先生に対して失礼だよ」と注意されたことは一度ではありません。
もちろん、それなりのTPOがあって、役割分担が決まっています。これが何となく分かってもらえるためには、1年間は二人の様子を見てもらわないと分からないのかもしれません。いずれにしても、じゃれ合っているから出来る研究、じゃれ合っているから出来る仕事が研究・仕事の大部分です。20歳年上の直属の教授に対してもそうであるなら、たった1,2年の差であれば、じゃれ合いがない方が、変な人間関係のように感じます。
追伸 T先生からは「勘弁してくれ」という声が起こるかもしれませんが。
■ [大事なこと]覚えなければならないこと
私は、大学の授業の最初に、
「私の授業ではノートを絶対に取らないでください。」
「ノートに書いても、この部屋を出て3歩も歩けば忘れるてしまうでしょう。」
「ノートに書くのではなく、私の話を聞いて感じてください。」
と言うのが常となっています。
内容的な部分は、本人が学ぶ気にならなければしょうがいないですので、学びたいナーと感じさせるような内容を話します。(もっとも、義務教育では、こんなことやったら父兄から袋叩きになるでしょうが)
ノートを取らないと不安になる学生には、以下のように話します。
受験勉強でものすごく色々なものを覚えたよね?でも、入学後、2ヶ月であらかた忘れてしまったんじゃない?
教員採用試験で、「○○法の第何条」とか、「コメニウス」、「ペスタロッチ」のことを覚えても、夏の受験が終われば2週間で忘れちゃうよ。
聞いて、感じて、何かを考えたことは忘れないんじゃないかな~
少なくとも「なんか、こんなことを聞いたような気がするんだけど」は残ると思うよ。
どうしても、それを思い出したくなったら、ノートを見直さなくても、私の所に聞きにきな。また話してあげるから。
追伸 私の独断と偏見によれば、教科内容に関しては、人が等しく、本当に覚えなくてはならなくて、実際に忘れないことは、義務教育で終わっているように思います。だって、だから「義務教育」なんですから。