お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2001-12-03

[]立憲君主14:13 立憲君主国 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 立憲君主国 - 西川純のメモ 立憲君主国 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本の政治形態はなんだと思われますか?大抵の方は「議会制民主主義」とでもお思いだと思います。私も小学校の時はそう思っていました。しかし、私が小学校の時のことです。小学校図書館で、小学生向けの辞典があり、それで日本を調べてビックリしました。日本の政治形態は「立憲君主国」なんです。そんな馬鹿なと思いました。なにしろ主権在民なんですから。

 しかし、立憲君主国かどうかは、元首が世襲であるかどうかで決まります。元首とは、外国大使派遣する際に携えさせる信任状の宛先の人であり、日本大使派遣する際の信任状の発信人です。これらは間違いなく「天皇」です。必ずしも、国の最高権力者というわけではありません。そう考えてみれば、日本英国スエーデンなどの欧州王国と変わりがありません。つまり、日本は「日本王国」なんです。ちなみに、ドイツの最高権力者首相ですが、大統領という元首がいます。フランスの最高権力者大統領で元首でもありますが、首相は別にいます。

 もちろん、私自身は反皇室ではありません。内親王誕生は、素直に喜べます。しかし、戦後民主主義教育を受けたものとしては、上記の解釈はしっくりこないものがあるのは確かです。現在でも上記に関して、議論が分かれているそうです。つまり、なんと日本の政治形態は何であるかは、議論の途上にあるそうです。

 内親王誕生特番だらけになった土曜日に、小学校図書館で驚いたことを思い出しました。

[]○○の儀 14:13 ○○の儀 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ○○の儀 - 西川純のメモ ○○の儀 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 雅子さんの出産には十三人の一流の医師がチームを組んだそうです。しかし、家内出産で分かったのですが、医師の出番は定期検診までであり、出産においては助産婦さんが主導権を握っていました。考えてみれば当然です。出産医学の萌芽さえもない過去から人間はやっていました。人は群れる生物ですから、その当時から助産婦役の同族が付き添っていたのだと思います。とすれば、健康出産であれば、十三人の一流の医師団は、全く暇だったと思われます。というより、かえって雅子さんはそれらの人たちに気を遣ったのではないでしょうか?同情します。

 内親王誕生すると、それ以降には多種多様儀式が執り行われます。テレビでは、それらを紹介していますが、おじいちゃん・おばあちゃん(即ち天皇皇后)が孫に会うのにも儀式があるようです。何とも、大変な家族だなとこれまた同情します。

 そんなことを思いながら、おしめ替えをしているときのことです。ふと、皇室には「ウンコ拭きの儀」とか「おしめ替えの儀」なんていうものがあり、平安時代からの伝統の作法があるのではないか、とバカみたいなことを思いつきました。無いとは思いますが、やんごとなき世界のことは、想像以上のものがあるかもしれません。そんなことを思いながらおしめ替えをしているので、息子に向かって「ウンコ拭きの儀とおしめ換えの儀をいたします、殿下」と声をかけながら、おしめを替えました。

伸 中世においてはローマ法王の排泄物は、聖なる物として珍重されていたそうです。我が国では、どうなんだろうと、ちょっと想像した次第です。

[]皿とコップ 14:13 皿とコップ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 皿とコップ - 西川純のメモ 皿とコップ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子がスプーンを使う様子を、最近では安心して見ていられます。今日、息子はスプーンを使ってコップのお茶をすくうことを試みました。ところが、とたんに私と家内から「ダメ!」という反応が来たため、ビックリ、しばらくして悲しそうな表情になりました。そこで、皿のスープをすくうと、我々からは「偉いねー」という反応が来ます。そこで、コップのお茶をすくおうとすると、「ダメ!」という反応を受け、混乱している様子です。

 かって、認知心理学の本を読んだとき、人は何をもって皿とコップを判断しているかという研究を読みました。改めて考えてみると、皿とコップの違いは決定的ではないです。その研究では、典型的な皿とコップの中間あたりの形の物を被験者に提示し、どちらだと判断させる実験をしていました。中間あたりだと大人も迷います。我々が色々な物を自然に分類しているのですが、それは高度なパターン認識なんです。

 いま息子は、その超高度な認識活動をしているんだろうな~と思いながら、「ダメ!」と「偉いね~」を連発していました。

追伸 あらためて「椅子」を定義しようとすると非常に困難であることに気づきます。四本足の椅子もあれば、三本足の椅子もあります。一本足の椅子もあります。背もたれの有る椅子もあれば無い椅子もあります。そこで、機能から定義しようとしても、なかなか難しいです。背もたれを後ろに倒せる椅子がありますが、あれとベットとの違いを定義しようとすれば、無理であることに気づきます。ちなみに、私の読んだ心理学の本で書かれていた例は「ゲーム(遊び)」です。これは、椅子以上に定義困難な概念です。

[]教えられる量 14:13 教えられる量 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教えられる量 - 西川純のメモ 教えられる量 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 小学校教育実習での学生さんの授業案は綿密です。もっとも、綿密に書くことを指導する先生に求められていることも理由の一つですが。しかし、それ以上に、授業中に話すことが無くなり、呆然と立ちつくすことに対する恐怖がそうさせるのではないでしょうか? それらをみると、「高度すぎる」、「量が多すぎる」と感じることがあります。授業研究をすると、面白いこと、教えたいことが出てきます。人情として授業の中に織り込みたくなります。それに対して、こんなことを話します。

1.自分がちょっと考えてすぐ分かる程度以上のことは、絶対に教えられない。

 人は、どれだけ苦労して分かったかということは忘れがちです。喉元すぎれば熱さを忘れるものです。忘れて、人に熱湯を飲ませてしまいます。

2.何を喋ったかが重要なのではなく、何を分からせたかが重要

 当たり前のことですが、「喋ったこと」と「分からせたこと」の違いを忘れがちです。

3.多くの子どもに「わかったと思わせる」こと、少数の子どもを「分からせる」ことは出来る。しかし、多くの子どもを「分からせる」ことは出来ない、と教えます。

 なんか、だましているように読めますが、もし、分かったという気にもさせず、もちろん、分からせることが出来ないならば、二度とそれを勉強する気にはならないでしょう。分かった気にさせれば、足りない部分は自分で勉強しますよ、と教えます。