■ [発見]誤解
先日、あるOBとメールのやりとりをしました。OBのメールに対して詩を引用しながら返信しました。それに対して、『ありがとうございます。理系の人らしからぬ、お言葉にますます驚きです。』という返信を、そのOB(学部は文系)から頂きました。え!?と思いました。ふと考えると、社会一般には理系に対して誤解があるように思います。
理系と一括りにまとめられますが、そのなかの数学と理論物理学などの理論系科学と、実験系科学は、使っている道具立ては似ていますが、指向性が全く違います。端的に表れるのが理学部に付きものの実験に対する好みです。前者の人は実験が大嫌いです。一方、後者の人は大好きです。ちなみに私は実験系科学の人間です。実験系科学のものは、自然というゴチャゴチャしたものの中から、ピュアーなものを見出すことに美を感じます。相田みつおや八木重吉のような詩、また、俳句は実験系科学に極めて近いように思います。事実、明治の俳壇を見れば自然科学者が多く含まれています。文学においても宮沢賢治のような理系の人間を見出すことは難しくありません。一方、数学や理論系科学の場合、生の自然のゴチャゴチャは嫌いです。もっとピュアーなもの(数の世界のゴチャゴチャ)を扱うことが好きです。最も近いのは音楽のように思います。いずれにせよ、理系と芸術は極めて近いと感じます。では、誤解されるのは何故か?
理系(数学も実験系科学も)は数の世界のゴチャゴチャを対象とするか、自然のゴチャゴチャを対象とするのかの違いはあれ、ゴチャゴチャしたものの中からピュアーなものを見出すことに美を感じます。 しかし、二流・三流の理系の人間は、他人様が見出したピュアーなもの(数式や法則)を道具として使っているにすぎません。使っているものは同じでも、やっていることは全然別なことです。つまり、クワを作っている鍛冶屋と、農夫の違いほど違います。似非理系の言動が理系に対する誤解を醸成しているように思います。
追伸 教育研究に対する対応で、一流の科学者とそうでない人と見分けることが出来ます。一流の科学者は、ゴチャゴチャした教育という現象を、どのように整理するかということに興味を持ちます。一方、そうでない人は「数式に乗らない」ということで、科学ではないと反発・軽蔑します。そういう反応する人に対して、心の中で、「あんたがやっているのは、他人が整理したものを右から左に動かしているだけだからだよな」と思います。
■ [ゼミ]プレッシャー2
西川研究室初心者の方へ、ある課題を与えました。しかし、今は異動の時期です。ものすごく忙しく、状況が流動的です。どうなるか分かりません。そこで、その方より、現状を説明し、いましばらく待って欲しい、というようなメールを頂きました。メールを読むだけで、げんなりするほど大変な状況です。同情します。しかし、以下が、それに対する返信です。
『こんにちは。
上越教育大学の西川です。
了解しました。
大変ですね。
異動が決まってから、とにかくやりましょう。
これが、西川ゼミ以外の人に対する平均的な返信の形です。
しかし、西川ゼミのみんなには、以下のような返信をします。
できない理由をるる説明する必要はありません。
その課題をやるかやらないかは、私の問題ではなく、あなたの問題なんですから。
課題を達成しなかった場合に生じる不利益は、あなたが受けることであって、私ではありません。
私は課題を与え、それが必要だと納得して貰った後は、評価するだけです。(もう、それが必要だということは十分理解されていることと思いますよね)
あなたが、どのような状況にいて、それをどのように解決するかは、あなたの仕事です。
従って、私に残されている仕事は、あなたが達成した課題を評価するだけなんです。
いつも言ってるじゃありませんか
「遊んだって、なにしたって、いいんですよ。結果さえ出せればね」(ニコニコ)
どうです。
怖いでしょ。
でも、それ故に、西川ゼミは他研究室の数倍から数十倍の研究業績を上げられるんです。
もっとも、西川ゼミの初心者であるTさんには、今しばらくは、上記のような返信はしませんよ。
ご安心あれ。
ともかくも、2、3日、こちらに来てディスカッションをする方がいいと思います。
ディスカッションの相手は、私、そしてそれ以上にゼミのみんなです。
異動が決まり、仕事内容が決まれば、いつ頃これるか分かると思います。
とにもかくにも、異動元に関しては、立つ鳥跡を濁さず。
そして、異動先に関しては、始めよければ終わり良しですから。』
追伸 西川ゼミのメンバーだったら、この種の攻撃を何度も食らったと思います。あれです。Tさんが最初ではなく、また、最後でもありません。Kuさん、フォローお願いね。