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2005-01-31

[]理想の教師 09:50 理想の教師 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理想の教師 - 西川純のメモ 理想の教師 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の授業で学生さんから教師のあり方を質問されました。「教えるのが教師の仕事ではない」と我々は主張します。これがなかなか分かりづらい。しかし、「我々が目指す最高のクラスとは、最高の職場である」ということが分かる人なら、この言葉の意味が分かるはずです。我々の考える良い教師とは、良い校長なんです。

 怖くて、しょっちょう怒る校長に仕えたいと思いますか?それより、いつもニコニコしていて、冗談好きのひょうきんな親父の方が良いでしょ!よく、親しみやすい校長の例として、学校の庭の手入れをしている人がいるので、庭師のおっさんかなと思ったら、実は校長だった、という話を聞きます。でも、本当に庭師のおっさんレベルの政治力だったらどうでしょう?自分には出来ない障害があった時、頼りたいのは校長ですよね。でも、その校長が自分レベルの力しかなかったら。その人を「おっさん」レベルで親しめても、あなたの校長だったら悲劇ですよね。「冗談好きのひょうきんな親父」なのに、自分の人事を相談したり、予算を相談したりした時、自分では解決出来ないレベルのことをさらりと出来たら、いいですよね。でも、それだけのレベルの校長だったら、個々の職員はバラバラな方向を見るでしょう。職員同士の軋轢が生じるでしょうね。

 理想の校長は夢を語ります。具体的には「説教」をたれるでしょう。あまり「たれすぎると」まずいですね。でも、少々、うざったいレベルまでは語るべきでしょう。その、うざったさ、も愛すべきキャラクターと判断されるところまで行けばベストでしょう。しつこく「説教」をたれれるとは、様々な状況でどう考えるかを、自分の経験談を基に語ることを指します。うざったいですが、校長が何を目指しているかが、具体的に分かります。結果として、職員同士の間で、校長が何を目指しているかに関して、共通の理解が出来ます。その結果として、いらざる軋轢が生じません。

 やさしくて、頼りがいがある、説教じいさんであれば、テレビドラマ的にはいい人です。おそらく、職員は何かあると、「やさしくて、実力のある校長」のいる校長室に相談に行くでしょうね。でも、テレビドラマではあまり言わないもう一つの条件がいります。依存的に頼ってくる人に対して、冷たく突き放せるかです。もちろん、冗談好きのひょうきんな親父なんですから、さらりと言わなければなりません。嫌いで言っているのではなく、その人の実力を認めるから言っている、というメッセージが伝わらなければなりません。例えば、「あなただったら簡単に出来ることを、なんで、私なんぞに聞くんですか?」と言うでしょうね。そして、あなたが、ある判断をしたならば、ニコニコしながら「あなたが下した判断なら、私も正しいと信じていますよ」と語るでしょうね。もちろん、「あなた」が下した判断が間違っていたならば、それを支持した校長が尻をふいてくれるでしょう。

 まとめましょう。冗談好きのひょうきんな親父なんですけど、実は実力がある。昔話をしながら、面白おかしく自分の過去を語りながら、自分のロマンを繰り返し語る。自分を信じて任せてくれて、失敗したら尻をふいてくれる。そんな校長の学校に勤めたくありません?そんな校長の職員室はどんな雰囲気でしょうね。そして、あなたはどれだけのことを出来るでしょうか?

 ここまでは比較的簡単な比喩です。多くの教師は同意してくれると思います。問題は、子どもも同じだということを「本当」に信じられるか?それが大きな障害なんです。子ども自分と同じだけ有能であり、かつ、同じだけ無能であることを理解できることが重要なんです。これを伝えきれない自分の無能さを感じます。

[]等質な集団 09:50 等質な集団 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 等質な集団 - 西川純のメモ 等質な集団 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 異質な人と交わることは大変です。そのため、等質な人と集団をつくりがちです。さらに、それが進むと家族のみと関わります。実はこれはサルにもある我々の本能に由来するものです。それでは何故異質な人と交わるのでしょうか?逆に言えば、異質な人と交わることを避け、等質な人と集団をつくるのは何故でしょうか?

 等質な人と集団をつくる理由は二つあると思います。第一に、異質な集団をつくらなくても解決できるレベルの課題であることです。それほど創造性を必要としないような、ルーティーンな作業で済むような課題の場合、異質な人と関わることなく出来ます(本も読まなくなります)。この場合は、等質なメンバーから構成される複数の集団が形成されます。第二の理由は、目標が一致しない場合です。この場合は、目標において等質ですが、その他の面に関しては異質なメンバーから構成される複数の集団が形成されます。

 もし前者ならば、一見、創造的な活動をしているようで、実は、低レベルの課題をやっていることを意味しています。自分の本当の実力に対して、実は低いレベルの目標を課している(そして課されている)ことを意味しています。我々は子ども達に、彼らの実力の極限が問われる課題を与えているからこそ、より異質な集団を形成しているんです。 もし、子どもが遊び仲間と同じグループで学び合っていたら、いや、もっと進んで自分一人だけで課題をこなし、相談するのは家族が主だったら。そうであったら教師が誤った目標や、低すぎる課題を与えているのでしょう。さて、私はどうだろうか?