■ [大事なこと]ほうれんそう
愚かな管理職の下では「ほうれんそう」は必須の処世術です。つまり、管理職に対して「報告」、「連絡」、「相談」をこまめにすることです。
最近、院生さん、学生さんに「ほうれん」はいりません、「相談」があったら聞きます、と言う機会が多いように感じます。ちょっと前だったら、院生さん、学生さんが語りたいだけ、語らせた後で、「何で私に言うの?」と言っていました。ところが、最近は、秒単位とは言いませんが、分単位で仕事に追われています。そのため、だまって承る時間もありません。そのため、院生さん、学生さんが、「報告」、「連絡」を言い始めると、直ぐに「ほうれん」は不必要ですと宣言しています。
仲間に対して、「ほうれんそう」は有効です。それによって、自分一人では解決できない問題を仲間の力で解決することが出来ます。ところが私は拒否しているのは、私が仲間ではなく管理者ですからです。つまり、目標の設定と評価をする人だからです。もし、管理者が学習者の「ほうれんそう」を受けると、仲間に対しての「ほうれんそう」を阻害するからです。
私は「ほうれん」は不必要だと思っているのに、なぜ「ほうれん」するかといえば、「安心」のためです。簡単に言えば、「私は言いましたよ」ということで責任を背負ってほしいという、安易な考えです。それ故、「ほうれん」を拒否しています。そして、忙しい現在では、それを率直に宣言します。「ほうれん」しても失敗したら、失うのは私ではなく本人です。それを忘れないでください。だから、「ほうれん」しても何の意味もありません。
でも、仲間に「ほうれんそう」をしても解決できない問題は「相談」してください。承ります。でもね、たいていの場合は、ご本人の中に「そうすべきだな~」というものはあるのが通例です。それぐらいの「あまえ」は承ります。でも、仲間にたいして「ほうれんそう」をした香りが無い場合は、拒否します。それは、皆さんのためです。
一方、皆さんのお話を1時間でも聞く場合があります。それは「自慢」です。つまり、Mちゃんの研究で示されるように、「これでいい?」ではなく「これ凄いでしょ!」は承ります。優れた業績を上げている研究室の主催者には共通点があります。それは、研究室のメンバーの研究に対して興味を持ち、関わるものの、その方法に対して命令しません。よく言われることですが、「金を出すが、口は出さない」というスタンスです。でも、正確に言えば、「口は出さないが、金を出し、喜ぶ」のほうが正確です。つまり、「ほうれんそう」ではなく、相談と自慢の「そうじ」が望ましい姿です。
追伸 そこそこの能力のある、愚かな管理職の場合は、「ほうれんそう」を欠かさずに指示通りに動けばそこそこは大丈夫です。ところが、本当に無能な管理職の場合は、「ほうれんそう」を頻繁にしても駄目です。なぜなら無能な管理職の指示通りにやったら、失敗してしまいます。ところが無能な管理職の場合は、自分の指示通りの結果として失敗したことを認めません。その場合は、おもいっきり無能の役を演じ、その管理職から見捨てられることによって距離を置くことしかありません。プラスに働かなくとも、大きなマイナスにはなりません。