■ [ウルウル]予想できる
金曜日に、あるゼミ生から「先生の言っていることはブレない。だから、どんな状況であっても、先生がどんなことを言うであろうかは、我々ゼミ生は予想がつく。そして、その予想は外れない。」と言われました。目標の設定者としては、最大の賛辞です。でも、これは私の側からも同じです。我が同志が、それぞれの場面でどのようなことを言うであろうことは、予想がつきます。そして、予想は外れません。もちろん、言葉の言い回しは違います。でも、「学校教育とは何か?」、「子どもとはどんな存在か?」、「それ故、授業とは何か?」という基本は「同志」です。それ故、そのような場面で自分が言いたいことと、同志が語りたいことは同方向です。
最近の同志のHPにそれを感じたのでアップします。他のHPのマルッポコピーは気が引けたので、今日まで控えましたが、やはりアップしたいと思いました。ちなみに、同志は某高校の進路担当の教師です。
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指導の量が多ければ多いほど成果が出ると考えている教員は多い。
「多い」というよりもむしろ「ほとんどだ」といった方がいい。
受験指導なんかも教員が介入すればするほど
合格に近づくと思っている。
介入し、介入し尽くしても、不合格だった場合
「もっと早くから始めればよかった。」
「もっと多い時間しどうすればよかった。」という反省の元、
教員の介入はさらに強化される。
どうして介入すればするほど子どもたちは意欲が減退するのがわからないんだろう?
明らかに意欲が減退している姿を見て
「もっと本気になれ。」
「そんなんじゃダメだ。やる気を出せ。」
「先生はもう知らない!」
と、「わけのわからない」指導になる。
一番必要なのは子どもたちにやる気を起こさせることなのに、
その意欲をそいでいる。
たまに「いやぁ、やりすぎちゃったから生徒はひいちゃったのかな?はははは。」
なんて冗談めいて言う教員がいるが、実は全く反省していない。
別の時にまた同じようなことをしている。
この種の教員の最も重視するのは過程であって結果ではない。
自分がいかに時間を割いたかが重要なのだ。
就職指導でも同じだ。
面接指導や、作文指導をお願いしてきたとき、
自分の固定観念にある「型」に当てはめようとする。
(「こっちのほうがいいんじゃないですか?」と言い返す子ども)
に対して
「あれじゃあだめだ。採用されない。」
「不採用になって自分を知るんじゃないか?」とまで言う人もいる。
ところがちゃっかり採用されたりする。
教師が介入せず、子どもの心に火を付けることに
時間を割いていきたい。