■ [ゼミ]西川研究室の研究
ある方とのメールのやりとりで、我々の研究室の方法論を可視化しようと思います。
みんなと同じ方法論で研究をやっていたとしたら、そうとう頭のいい人しか研究成果で生き残ることは出来ません。一方、西川研究室は、ごくごく普通の人が集って研究を進めます。しかし、その研究成果の生産量は、驚異的であると自負しています。我々が研究においても強いのは、それは『学び合い』のなせる技です。しかし、それとともに方法論の違いに由来しています。それが特異なため、オリジナリティのある研究成果を生産し続けることが出来るのです。
西川研究室の方法論と、今までの教育研究の方法論は全く違っています。
例えば、我々は学習者の多様性を前提としていますが、一般はそれを無視します。一般の教育研究は、何らかの心理理論、教育理論に基づき、素晴らしい方法を導き出します。そして、それを実践した群(実験群)と一般の群(対照群)を比較して、実験群の優位性を明らかにして、有効な指導方法を提案します。ところが、我々は学習者の多様性を前提としていますので、全員(もしくは圧倒的多数)に有効な指導方法なんてあり得ない、と考えています。だから、個々人が採用する指導法(まあ、学習法というほうが正確なのですが)は気にしません。だって、百人いれば百通りなんですから。
西川研究室の場合は、どのような環境が保証されたとき、個々人が最高の学習法を選択できるかということを明らかにしたいと思っています。それも、教科や学年や、ましてや単元毎に違うものではなく、学習全般に成り立つことです。従って、我々が注目するのは、どのような集団を構成し、それに対して、どのような課題を与えるかに着目します。そして、ものすごく大ざっぱなレベルにとどめます。だって、数段階のプロセスだって、実際の教師がやるわけない。我々は、全ての教師が出来るような教育改善を目指しています。
その理由は、我々は学習者を有能と考えていますが、一般的には愚か(まあ、導く必要がある、というのが穏当な表現ですが)と考えています。だから、なんらかの心理理論や教育理論に、「正しい姿」を求め、それを学習者に求めます。ところが我々はそれをしません。我々が前提としているのは、学習者観・学校観に示される、馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことを前提とするのみです。そこから先は、子どもに教えてもらいます。即ち、一人一人の学習者がみんなの力で素晴らしい姿を作り出せる環境を保証した後は、彼らが出してくれる答えを教えてもらいます(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070520)。