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2008-04-03

[]自慢話 22:44 自慢話 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自慢話 - 西川純のメモ 自慢話 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ふと気づきましたが、所属が変わったことを書いていませんでした。私は4月1日から上越教育大学の学習臨床コースから教育実践高度化専攻、つまり教職大学院に異動になりました。何度もメモに書いているとおり、この新専攻の「売り」は人です。

 学習臨床コースから異動したのは、私の他に松本修先生と久保田先生です。松本先生は高校教師の経験のある国語教育の専門家です。研究者としての能力の高さはもちろんですが、現場の諸事に通じており、その種の仕事に関しては完全におんぶにダッコ状態です。久保田先生は小学校・中学校教師の経験のある先生で、些事も手堅くこなす能力の高い方です。また、面白い方です。なによりも西川ゼミで修士課程・博士課程を過ごしたということが能力と人格の証明です。生徒指導総合コースからの異動者は、若井先生と藤田先生です。若井先生は教育法規の権威で、全国での講演経験数は驚異的です。見た目は怖そうなのですが、一緒に飲むと酒の肴が5品増えた気がする人です。本当に座談の名手です。藤田先生は東大の大学院出身の教育研究者です。というと、難しげな人のようですが、実際は違います。長い間、都内の学校で常勤的非常勤の経験がある先生で、野球部の顧問を務めていました。エレキギターを趣味とする人です。本当にいい人です。ただハンサムであるということが癪です。幼児教育コースからは木村先生が異動されました。現場経験が無い唯一の先生です(というこが我が専攻の特異なところです)。しかし、生活科関連で全国的に講演に引っ張りだこの人です。腰が低く、気さくで、そして酒を飲むと底抜けに陽気な人です。理科コースからは小林先生が異動されました。兵庫県で長年、中学校教師の経験のある方で原体験と理科との研究を深められています。一言で言えば、「いい先生」です。数学コースからは岩崎先生が異動されました。身長がものすごく高くいのですが、礼儀正しく腰が低い先生です。高校での常勤的非常勤の経験があります。カラオケをすると歌が凄くうまい先生です。学校教育センターからは松沢先生が異動されました。長年、新潟県中学校の教師の経験があり、期限付きで採用されたのですが、このたび引っこ抜きました。授業に役に立つ授業をしてくれる先生と学生に聞くと、この先生の名前が出ます。そとから採用した先生は5人です。教授職としては3名です。武嶋先生は横浜の校長先生です。見た目はものすごく怖そうなのですが、メールのやりとりをすると「お茶目」な方であることが分かります。広瀬先生は富山県の高校の校長先生です。というより長年、富山県教育行政の中枢におられた方です。行政力のあるかただな~と感じる方です。瀬戸先生は富山県の校長先生で、ちょいと前まで富山大学附属学校の副校長(つまり実質校長)でした。「いい先生」と感じる方です。以上3名の方はそれまで面識はありませんが、人事に関わりながらやりとりをしているなかで「いい先生」だと感じます。同時に、3人とも学術研究の業績を併せ持つスーパー教師です。准教授としては水落先生と赤坂先生のお二人です。水落先生は新潟県の小中学校の先生として長年すごしていました。なによりも西川ゼミで修士課程・博士課程を過ごしたということが能力と人格の証明です。最後に赤坂先生です。「赤坂真二」と書けば、ご存じの方も多いでしょう。実践界の若きスターです。水落さんの現場仲間で、上越教育大学ではじめ合ったときは学卒院生さんと間違うほど若々しい人です。講演の時は、私に負けずにハイテンションですが、一般は礼儀正しく、腰の低い、静かな方です。以上14名が、教職大学院だけを専任する先生方です。その他にも、有能な先生方がサポートしていただけます。

 いままで異動の関係で、全ての人の名前を明らかに出来ずに、隔靴掻痒の思いでした。でも、4月になっておもいっきり自慢できます。ね、凄いメンバー「だけで」教職大学院を立ち上げたでしょ。ね、だから「売り」は人だっているのは嘘じゃないでしょ!我々の特徴は、現場経験と学術を兼ねた人で固めたんです。それによって、実践と学術の融合を担保しているんです。

http://www.juen.ac.jp/contents/gsoe/kyosyoku/index.html

[]躾 09:09 躾 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 躾 - 西川純のメモ 躾 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある方から躾について質問を受けました。質問は「日本人としては礼儀だとか作法だとかも教える必要があるのではないでしょうか?」というものです。そこで、「その礼儀とは具体的には何ですか?」とききました。そのレスでは「人の話を姿勢よく聞く、まっすぐ素早く整列する事ができる、返事ができるといったイメージです。人が話していてもおしゃべりしていて何も聞いていない、ふらふらしている というような子ども達も増えている気がします。そういったことは一斉授業でのほうが身についていくような気がしたのですが。」とありました。そこで私なりの応えを書きたいと思います。

 いつもの論法で、校長に置き換えてみましょう。ある学校で、「教師たるもの、子どもに範を示す必要がある。従って、服装はスーツを基本とし、男性の場合はネクタイ着用とする。ハンカチは白で、ティッシュを持参すること。体育、理科実験の場合はジャージ・白衣を着ることはかまわないが、終了後は直ちに着替えること。」と命令して、朝の朝会で持ち物検査を教頭の号令でやったとしたら・・・。さらに、懇親会では正座で飲むことを命令したら・・・・。いかがでしょうか?

 さて、上記の校長のやっていることは正しいとは思いませんよね。では何故正しくないのでしょうか?第一に、いつもいつも正装では、本来の目的である授業に差し支えが生じるからです。物事にはTPOがあります。もし、卒業式・入学式の時にジャージ姿で出席したら、校長がそれを注意したとしても、多くの教師は同意すると思います。それは、「式」であり、「厳粛な式における行動」を求めることが目的だからです。

 『学び合い』においては立ち歩きもありますし、私語は奨励されています。しかし、人の話を聞くべきところで、効かない場合は注意します。(ただし、「その子」ではなく、集団全体ですが)。なお、『学び合い』が成立したクラスをお持ちの方ならば、よくお分かりですが、学級崩壊とも見える『学び合い』は静かになるべき時に静かにできるクラスを作る力があります。何故なら、クラスの中にはTPOが分かる子がいて、その子がみんなにそれを伝えるからです。

 次に、どんな法令、まあ、法令に基づく公的な通達にも「教師たるもの、子どもに範を示す必要がある。従って、服装はスーツを基本とし、男性の場合はネクタイ着用とする。ハンカチは白で、ティッシュを持参すること。体育、理科実験の場合はジャージ・白衣を着ることはかまわないが、終了後は直ちに着替えること。」とは規定していません。つまり公的に強制する権限は、校長にはありません。だから、校長は提案し、説得する義務があります。命令は出来ないのです。(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20071125)もし、本当に躾ける理由があると、「思うならば、子どもにちゃんと語り、説得すればいいんです。管下の職員に「教師たるもの、子どもに範を示す必要がある。従って、服装はスーツを基本とし、男性の場合はネクタイ着用とする。ハンカチは白で、ティッシュを持参すること。体育、理科実験の場合はジャージ・白衣を着ることはかまわないが、終了後は直ちに着替えること。」を納得させればいいのです。管下の職員が納得して服装はスーツを基本とし、男性の場合はネクタイ着用し、ハンカチは白で、ティッシュを持参し、体育、理科実験の場合はジャージ・白衣を着るが、終了後は直ちに着替えるならば、それはそれで結構なことであり、否定するつもりは微塵もありません(まあ、無理でしょうが)。

[]異学年 09:12 異学年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年 - 西川純のメモ 異学年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川研究室では、上は四十数歳の院生さんから、下は二十歳になったばかりの学生さんがごちゃごちゃと異学年をしています。何故かと言えば、それが有効だからです。私が大学院・大学の友人と会えばガキに変わります。そして、ガキみたいな喧嘩をし始めることもあります。同様に、学校では中堅と言われるような教師も、その教師だけで集団を組めばガキに戻ります。ところが、一人でも学部生が混じると、大人になるんです。そして大人の関係を安定して維持します。

 異学年は万能の処方箋のように思えます。ざっと書いても以下のものがあります。

●『学び合い』が成立しにくい悪質なイジメがあったクラスでも、異学年をすれば『学び合い』が成立しやすいです。なぜなら、今までのクラスの固定的な人間関係を壊すからです。また、年齢が違った人間の方が、「みんな」という意識を持ちやすいからです。

●荒れた学校の改善策になります。何故なら、子どもが集団で荒れたとしたら、それは「学校・教師」に荒れているからです。教師が相対的にフェードアウトし、子ども同士の関係を主軸におけば荒れません。異学年をすれば、先の理由から速やかに『学び合い』が成立します。

●学校が抱える問題の根本原因は、教師集団の教育力の低下だと私は思っています。教師集団の『学び合い』が成立したら、殆どの問題は解決できます。では、どうするか?それは同じ子どもを見ながら、その子たちの成長を達成するという一つの目的を課題とすべきです。異学年をやれば、複数の教師が生の子どもを同時に見て、語り合えることが出来ます。これほど素晴らしい研修はありません。残念ながら、現在の学校における研修は教科内容が主軸となっています。それでは、固定的な教え/教えられるという関係が成立しやすい。

 それ以外に、山ほどメリットがあります。具体的に関わらせようとしなくても、一緒にいるだけで結構です。それだけで影響を及ぼします。

 最近、ある同志からブログを立ち上げたいというメールがありました。そのメールの中で「生徒さんも日記を書き出したし」という一文がありました。また、ブログの立ち上げで手間取ったら、「中学生だってやっているのにね…」とありました。そして、自らで解決されました。上記のメールを読んで、私は「やっぱりね」と思いました。

 ちなみに西川研究室では最初は、現職院生さんの集団と学部学生さんの集団を分けて指導をしていました。しかし、異学年を組みました。その後の経過は、以下の通りです。

意識した行動が見られるようになりました。具体的には現職院生さんが大人の行動をして、その影響は現職院生さん同士の関係にも表れます。しかし、どちらかというと、先生と生徒という関係です。つまり、現職院生さんを「教えよう」という意識が強いですし、学部生さんは「教えてもらおう」という意識が強いです。結果として、あまり関係が深まりません。想像してください。慰安旅行で、校長と一緒の部屋で寝ることになるのと、先輩・後輩の部屋で寝るのと、どちらが楽しいですか?しかし、数ヶ月のうちに改善されます。何故かと言えば、現職院生さんが「これではいけない」と気づき、声がけを変えます。つまり、「これこれなんだ」という声がけから、「これどう思う?」に声がけが変わります。だんだんとため口になり、馬鹿話を含めた会話数が多くなります。結果として、現職院生さんは学部学生さんの有能性に気づきます。そして、ポーズとしてではなく、本当に若い学生さんから学ぼうとするようになります。学部学生さんも現職院生さんを「先生」ではなく「先輩」というふうに捉え直します。この過程は「忙しい!を誰も言わない学校(東洋館)」に書いている通りです。

全国の同志にお勧めします。異学年は良いですよ!中学校・高校の同志にお勧めします。別に同じ教科である必要はありません。1年生は英語で、2年生は国語で、3年生は社会でいいんです。そして、その子どもたちの様子を3人の教師がゴチャゴチャと語り合うのです(その日の夜、どこで飲みに行こうかという相談も含まれるかも。あはははは)。