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2009-11-01

[]とりあえず 22:36 とりあえず - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - とりあえず - 西川純のメモ とりあえず - 西川純のメモ のブックマークコメント

 とりあえずざっと書きました。毎回、言っていることですので、殆どよどみなく書けます。

 これって分からない、とか、これも書けばいいよ、というアドバイスがありましたらメールしてください。お願いします。

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学び合い』がうまくいかないなと思ったとき読んでください

総論

 最初に、授業がうまくいかなかったとき、「授業のやり方が悪かったのではないか」と思われると思います。しかし、本当は子どもは授業のやり方を見ているのではなく、あなたの心を見透かします。あなたが、子どもをどう思っているか、学校教育の目的は何のためにあるか、それを子どもが見透かし、それにあった行動をします。例えばです。校長が替わると、何日間で職員室の雰囲気は変わるでしょうか?そして、それは、校長が職員会議での言動で替わるのでしょうか?

 おそらく、数日で変わると思います。そして、校長のありとあらゆる言動、何気ない仕草や表情を通して、校長が職員をどう思っているか、職員の仕事は何であると思っているかを見透かし、それに合わせた行動をしているはずです。それと同じです。

 『学び合い』は極めてシンプルで、子どもが自由に活動する時間を保証します。従って、彼らの本心が極めて分かりやすくなります。でも、それは従来の授業においても同じなのです。ただ、見えずらくなっているにすぎません。

 子ども達はどのような教師の仕草・言動によって教師の心を見透かすのでしょうか?典型的な言動を紹介します。

●個人の達成を褒めてしまう

 ある子どもが「先生、私、80点もとれたよ!」と言いに来たらどう反応するでしょうか?おそらく、「良くできたね」と褒めるでしょう。しかし、これは良くない反応です。このような反応を受けた子どもは、次は85点、90点を取ろうとします。そして、自分が出来ることばかりに目が向いてしまいます。さらに、その教師の声を聞いた「出来る子」も同じように思い始めます。

 これは、教師が「一人一人の達成が集まることが「みんな」の達成だ」と誤解していることに原因があります。しかし、出来る子が自らの達成のみを求めた場合、真面目にやらない子は絶対に勉強に向きません。出来る子が自らの達成と共に「みんな」を求めない限り「みんな」は成り立ちません。

もし、子どもから「先生、私、80点も取れたのよ!」と言われたら、「良くできたね、でも、目当てはみんなが出来ることだよ。みんなはどうかな?今、何をしたらいいかな?」と反応すべきです。

 

●個別指導をしている。

学び合い』では教師は比較的自由です。そして一見、暇のように見えます。そうなると気になる子の近くに座り、細かい指導をします。今までだったら、個別指導は「良いこと」です。しかし、個別指導をすると以下のデメリットが生じる。

1) 子どもが個別支援出来なくなる。

教師が個別支援していると、他の子どもがその子は「先生の担当」と思います。その結果として、いつまでたっても、その子は他の子どもと繋がれなくなります。

2) 先生、先生という声が起こる。

子どもは教師が教えるという文化に染まっています。その結果、教師が教え始めると「先生、先生」という声が起こる。そして、その先生が教えてくれるまで待つと言うことが生じる。その結果、子ども同士が関わることに障害になります。

3) やるべきことをしない

学び合い』では教師は集団を常に観察し、集団を動かす声がけをします。例えば、今まで「教えて」と言えなかった子が言えたとき褒めます。また、今まで教えることをしなかった子が教えたとき、また、今までとは違った人に教えたときには褒めます。それを比較的大きな声で語ることによって、それを真似る子どもが生まれます。そのような現象が、クラスのいつ、どこで起こるかは分かりません。そのため、常にクラス全体を見回さなければなりません。また、集団の動きによって、集団が健全であるかを判断しなければなりません。これも常にクラス全体を見回さなければなりません。ところが、個別指導しているときは視野が非常に狭くなります。結果として、大事なポイントを見逃してしまうのです。つまり、『学び合い』における教師が暇だという誤解から個別指導をしています。

●個人に語っていないか?

 教師の仕事は、集団を動かすことです。個人を動かしていては、クラスの半数も動かすことは出来ません。仮に出来たとしても、もっとも手のかかる子を動かすことは絶対に出来ません。

 子どもを褒めるにせよ、叱るにせよ、それはその子を動かそうとするのではなく、その子の行動はどのように評価されるかをクラス全体に広げるのが教師の仕事です。一人一人に語っていたら効率が悪すぎます。比較的大きな声で語れば、教師のメッセージはクラス全体に広がります。

●机間巡視の仕方

以上のことが総合的に見えるのは机間巡視の様子です。上記の説明を理解した上で、自分の『学び合い』授業中の姿を思い出して下さい。『学び合い』が腑に落ちるまでの典型的な先生の変容は以下の通りです。

1) 子どものノートをチェックして回っている。結果として、表情は険しく、腰をかがめながら机から机を移動している。

2) 腰を伸ばしながら机から机に移動している。しかし、気になる子のところでは立ち止まり、表情は険しくなり、ノートをチェックしている。

3) 腰を伸ばしながら机から机に移動している。しかし、クラスの出来るこのところで立ち止まり、聞こえるような独り言をする。このころになると笑顔が出てきます。

4) 壁により掛かりながら、全体をぼーっと見ている。時々、特定の子ども達のところにさっと動き声がけをする。

5) 教卓に座って内職をしている。ときどき子ども達の様子をチラ見します。

 こう並べてみると、教師の心の中がいかに分かりやすいかがおわかりだと思います。

各論

 授業中に「失敗した」と思うであろう現象別に、その原因と解決法を述べます。

●学び合わない

 『学び合い』の授業をしはじめた、「学び合いません」と言われることがあります。これの原因は3つです。

 第一は、学び合っているのですが、それに気付いていないためです。『学び合い』はとてつもなく簡単です。休み時間にやっている相談を勉強でやるだけのことです。それに、教師の話を黙って聞いている授業に比べて楽しい授業です。従って、直ぐに学び合います。ところが教師は気になる子に目がいきます。そのような子は『学び合い』では一層目立った行動をします。それが気になってしまいます。その結果、「学び合いません」という判断になります。しかし、ごく普通のクラス経営を出来る先生であれば、クラスの6割強の子どもはかなり質の高い『学び合い』をしているはずです。気になる子は遊んでいるのが『学び合い』によって見えやすくなっただけのことです。その子を変える力は教師にはありません。だから気になる子だったはずです。その子を変える力は、クラスを動かすしかありません。6割強の子どもに目を向け、その行動を褒め、「みんな」を求めるしかありません。もう少し時間を下さい。最大で2ヶ月でその子たちも集団の中に入ります。

 第二の原因は、最初の語りを省略している場合です。教師が急に指導を変えれば混乱するのは当然です。いつでもいいですから最初の語りをしましょう。例えば、「先生が急に教え方を変えたから、みんなビックリしたね。ゴメンね。ちゃんと説明するから良く聞いてね。・・・」とすれば良いのです。

 第三の原因は、『学び合い』をしたくない場合です。教師の心は子どもには見透かされます。子どもは何故学校に行くのかを真剣に考えて、自分がそれに対してどれだけのことが出来るかを考えていただきたいと思います。

●いつまでたっても立ちあるいて教え合わない

 『学び合い』の授業では開始15分程度で子ども達はダイナミックに動くはずです。ところがいつまでたっても動きがない場合が起こります。このようなとき、出来る子やそこそこ出来る子どもは自力で解決できますが、勉強の出来ない子は教師からも教えられず、友達からも教えてもらえないのですから悲惨な状態になります。

 最も典型的な原因は、与える課題の数が多すぎるのです。例えば問題自体はそれほど難しくないのですが、その数が多く、その答えを書くだけで30分もかかるような課題を与えられれば、出来る子どもも周りの子どもに教えに行くことは出来ません。

 レベルを下げずに、問題数を減らしてください。それだけの問題数があるということは、おそらく同種で同じレベルの問題が複数含まれると思います。それを1つにします。出来る子どもは、人に教える度に、その問題を様々な角度で考えるので1つで十分です。逆に出来ない子は、数少ない問題を確実にこなすことが出来ます。

●出来る子が答えを教えたり、出来ない子が丸写したりする行為をすることがあります。出来ない子がそうするとしても、出来る子がそうするとしたら何故でしょう。出来る子は、そんなことをしても分からないということは分かっています。それでもするとしたら理由があります。

 原因は、教師の評価が甘いので、それでも何とか出来ると判断しているからです。具体的には丸暗記でも点数がそこそこ取れるような問題を出すようであるならば、出来る子が答えを教えます。ですので対処法は、そんなことをしても点数は取れないと言うことを出来る子に納得させ、「みんな」を求めるのです。出来ない子は理解できなくとも、出来る子は理解できます。その子が「みんな」を求めれば、答えを丸写ししようとする子に注意をします。

●クラスの8割強ぐらいまでの子どもが互いに学び会うというレベルに行くのは比較的簡単です。しかし、最後の数人が『学び合い』の輪に入るには時間がかかります。これはじっくりと「みんな」の意味を語るしかありません。例えば、「一人を捨てるクラスは、二人目を捨てるし、三人目を捨てる。四人目は自分かも知れないよ。第一、そんなクラスに、あと半年、いっしょにいたい?」と語るのです。

 ただ、教師が原因である場合もあります。それは、教師がその子に手をかけるために、周りの子どもがその子を「教師の担当」と思う場合です。教師が拘るべきは「その子」ではありません。「その子「も」見捨てないクラスづくり」に拘るべきです。

●与えた課題が子どもが課題を勘違いするということがあります。その原因としては二つあります。第一は、教師の課題が悪いという理由です。これは、クラスの出来る子の行動を見れば分かります。そのクラスの出来る子の複数が勘違いしていたとしたら、それは勘違いしているのではなく、教師の課題が悪いということです。

 第二の原因は、小グループ同士の交流が弱いということです。クラスの出来る子が勘違いしていなければ、その子が属している小グループの中では誤解が解消されます。ところが、グループを越えた交流がないと、そのような出来る子がいないグループでは誤解が残ってしまいます。

 その場合は、最後に「自分が出来た!と思える。そして、自分はみんなが分かるために、教えたり、わかんないよ~と言えたり出来た人、手を挙げてみな」と聞きます。そして、「手を挙げている人、周りを見回してみな。みんなではないね。何故だろう。そして、どうやったらみんなが出来るようになれるだろう。それを考えましょう。」、「手を挙げられなかった人。何故手を挙げられなかったんだろう。どうやったら手を挙げられるようになれるだろう。それを考えましょうね」と言います。そのような声がけによって、出来る子がクラス全員のことを頭に描いて動くようになります。

●時間の最後になって自分ができあがって遊んでしまう子どもが生まれることがあります。第一のケースは、その時点で、出来ない子が7、8人以上いる場合です。これは「みんな」が不徹底なためです。先の事例と同様に、授業の最後に「みんな」を評価することを繰り返すことによって改善します。第二のケースは、その時点で、出来ない子が1、2人の時です。こうなると残りの子ども全員が教えられないのですから、遊んでもしょうがない、と教師も思います。そうなると収拾がつきません。実は、このケースの場合も「みんな」が不徹底なためです。

 このような場合が起こるのは、出来る子が自分の課題を終えてから教え始めるという行動をしている時に起こります。これだと分からない子は、最初の15分程度は誰からも教えてもらえないと言うことになります。しかし、本当に「みんな」を求めれば、出来る子がその子を自分の隣に座らせて、自分の課題を解きながら、教えると言うことをします。例えば、「まず、ここをやってみな。これこれとやれば良いんだよ」と簡単にアドバイスして、自分の課題をします。さらに進めば、クラスの中の不得意な子が分かるためにはどうしたらいいか予習し始めます。つまり教師の視点で教材研究をし始めるのです。最終的な解決は、その先にあります。そのような積み上げの中で、みんなのためにも自分が分からねばならないと、不得意な子が予習し始めます。そうなると解決するのです。

 『学び合い』で成績が上がるのは、1一人の教師では出来ない究極の個別対応が出来るからです。しかし、特別支援の子どもだと思われている子も100点を取るという、常識では考えられないようなことが起こるのは別な理由があります。理由は簡単です。その子が本当に分かりたいと願い、自宅でも勉強し始めるためです。馬鹿馬鹿しいほど当たり前の理由です。『学び合い』は、みんなの力でそのようなことを起こすのです。

●授業時間内に課題が終わらないと言われる先生がおられます。しかし、『学び合い』をすれば従来の3分の2以下で課題が終わるはずです。そうならないには理由があります。第一の理由は、子ども達に任せる時間が短いためです。たいていの場合は、まず教師が教えて、一部の時間に学び合わせることをします。ところが、教師の教え方では、勉強の出来ない子は理解できません。従って、その時間がロスになっているためです。改善するには、教師が教えている時間を削って、子どもに任せます。

 もし、授業時間の大部分を子ども達に任せているのにも関わらず、時間内に終わらないとしたら第二の理由です。そのケースの場合、終わらない場合、「終わらなかったね。じゃあ、次の時間に残りをやりましょう」と言っているはずです。つまり、教師が時間を守っていないのです。その結果として、そのクラスの出来る子が「時間内に終わらせるには、どうしたらいいか」という視点で頭を使わなくなります。従って、改善策は、終わらなくても次に進みます。例えば、「先生は、今日中にみんな出来るようにという課題を与えました。しかし、みんなは時間不足で出来ませんでした。どうしたらいいか考えてください。出来ない部分は休み時間にでも自分たちで教え合ってください。」と切るのです。このようなことを繰り返せば、出来る子が戦略的に動くようになります。

 「分からないのに先に進められない」とおっしゃる先生もおられますが、その場合、私は「じゃあ、いままで最後の一人まで分かるまで留まっていましたか?」と聞きます。そんなこと出来るわけありません。対処療法でズルズルとひきづるより、根治療法の方が大事です。

●『学び合い』は成績が上がります。しかし、成績が上がらないと言われる先生もおられます。原因は二つあります。第一は、その先生が成績を上げることを求めていないからです。そのため、成績とは何かを曖昧な漠然としたもののままにしています。例えば「深い読み」のような、分かったようで分からないことを求めます。これでは、子ども、それも出来る子どもさえも分かりません。それでは成績を上げることが出来ません。

 第二の理由は、教師が諦めているためです。例えば、「あの子は駄目だよな~」と思えば、その心は出来る子に見透かされ、出来る子もそう思います。そうなれば手を抜き始めます。手を抜いた状態では成績は上がりません。

●『学び合い』がうまく行き始めて、クラス運営も、成績も向上した後、急に、うまくいかなくなることがあります。大抵の先生は、遊んでいる子どもに原因があると思います。しかし違います。本当の原因は出来る子です。出来る子が手を抜き始めたためです。そして、その原因は教師が手を抜き始めたためです。

 具体的には、子どもの『学び合い』のレベルが上がっているのに、与える課題のレベルは同じままであると、出来る子は手を抜いてもそこそこ出来ると思い始めます。また、教師の評価が甘くなると手を抜き始めます。また、『学び合い』に関する考えが甘くなり、上記に記したことをやりはじめます。

 原因は教師の心です。ですので、子どもに一度謝り、もう一回仕切り直せば、直ぐに子どもは応えてくれます。

[]またまた 21:50 またまた - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - またまた - 西川純のメモ またまた - 西川純のメモ のブックマークコメント

 またまた、短い手引き書を書いています。内容は、『学び合い』の初心者の人が「失敗した」と思うことに対する対処法です。面と向かってコメントするのが辛い人に読んでもらって気付いてもらいたいと願っています。