■ [う~ん]前近代人

最初に書きますが、この手のことを書くと「私でしょうか?」という反応があります。でも、このメモを読んでいる人ではありません。
さて
近代日本の教育の大きな成果として、時間で仕事が進むということを国民に植え付けたことです。何時間目は何、次の時間は何というスケジュールで進むということは、それ以前の日本にはありませんでした。意外でしょ?
中世の職場は基本的に狭いコミュニティで行われていました。お互いが、どんな状態であるか、何を必要としているか互いに知り合っていました。だから細かい時間の取り決めをしなくても、おおよそで動いていました。ところが近世になると、関わるコミュニティも広く多様になります。互いに、互いが分からない中で仕事を進めなければなりません。その結果として時間を守るという習慣が生まれます。
私は色々な人と仕事をします。ところが、時間の概念のないと思われる人とも付き合います。こちらは色々な人の仕事をしているので、一人の人が時間の概念がないと、その結果として多方面に迷惑がかかります。ところがご当人は、時間の概念がない前近代の世界に生きているので、その重要性が分からない。困ったもんです。まあ、その人は悪い人とは思いません。ただ、複雑な社会での仕事を一緒に出来ない人であるという認定をするだけのことです。三十すぎてこれが出来ていない人は、まあ、今後も出来ない人ですから。
今日の23時59分59秒まで待ちます。
■ [嬉しい]ビビデバビデブー

本日も小学校に参観に行きました。本日、最も劇的だったのは1年生の『学び合い』です。全く知らなかったのですが、その先生の本格的に『学び合い』の初回です。
最初の語りを語りました。聞いてみて「え!?」と思ったのは、それまで算数の時間は特別支援学級に行っていた子どもも、これからは一緒の仲間であると宣言したことです。特別支援の担任の先生も、『学び合い』にかけてみようとされたことの表れで、とても嬉しく思いました。
最初の語りに対しての子ども達の反応を見て、その先生の平常のクラス経営が『学び合い』の考え方に近いものであることを感じました。そして、「成功間違いなし!」と確信しました。
課題を提示し、「さあどうぞ」で開始しました。しかし、開始当初は多くの『学び合い』ビギナーの先生と同じように、個々の子どもが出来たか、出来ないかに目が向いて全体に目が向きません。そこで、全体を見ることの大事さを語り、可視化の例を伝授しました。そして、別な教室の『学び合い』を見にその場を離れました。約5分後に1年生のクラスに戻ればクラスの様相は一変しています。クラス全員が『学び合い』の渦の中にあります。当然、特別支援の子どもの周りにも子ども達の輪が生まれています。特別支援の先生の表情を見れば、うまくいっていることが分かります。
最後の評価で「課題が出来た人?」と聞けば、全員が手を挙げます。そして、「みんなが出来るために、分からないよと言えたり、人に教えられた人」と聞くと7人ぐらいが手を挙げられません。そこで、みんながいかに大事かを担任の先生がまとめて終わりです。初回としては100点満点、いや、120点以上でしょう。
それにしても、不遜ながら自分が魔法使いのように感じます。『学び合い』のセオリー通りのアドバイスを担任にちょっとしただけで、そのアドバイスに準じたことを担任がちょっとしただけで、クラスの姿は大きく変わります。
ビビデバビデブー!
追伸 上越市内の学校であれば、こんなサポートはお茶の子さいさいです。が、それを利用する学校が殆どいないのです。不遜ながら思います。もったいない。