■ [大事なこと]脱皮
今、本屋がどんどん潰れています。ネットで購入することに抵抗感がない世代が増えるに従って、町の本屋で買う意味はありません。手軽に買えるというのだったら、ネットの方が便利です。何しろ、自宅で注文できて、自宅で読めるのですから。その中で大型書店は生き残っています。大型書店では、手にとって見ることが出来ます。いわゆる立ち読みです。しかし、今後、ネット販売で立ち読み出来るサービス(つまり、中身の一部を読めるサービス)が充実したら、それも衰退するでしょうね。
古本屋なんて悲惨ですね。ネットで古書の売り買いが出来るようになったためです。今古書を持っている世代、そして、今後、古書を買う世代の意識が変わったら激変が起こるでしょう。今、アマゾンで取引されている古書は、美品か否かということを選択する項目があります。しかし、もし、自炊用に裁断済みの本の流通が一般化したらどんなことが起こるでしょうか?手元に、その原本のコピーがあればよいという人は少なくありません。少なくとも多くの研究者はそうでしょう。そうなったら、そういう人たちの蔵書の古書がどんどんネット上で流通するのです。さらに、国会図書館が蔵書の中で著作権の焼失した古書をPDFで提供サービスが実現したら・・・
本の価値は情報の価値で、紙の冊子の価値ではありません。従って、今後、本屋や古書店が生き残っていける道は、本自体の情報にいかに付加価値を付けるかです。自動化した機械では出来ない、人だから出来る相互交渉によって出来る価値だと思います。つまり、その書店に行って、店員さんと相談しながら適切な本を紹介してもらう、特に、ネットでは流通していない情報を教えられる書店が生き残ると思います。
が、そのことが分かっていない人が多すぎます。今から十数年前に某大手教科書会社の取締役の人と会う機会がありました。その際、教科書が紙媒体から情報に移行するであろうことを話しました。そのような時代の検定制度と、その中で付加価値をどのように付けていくかを話しました。が、聞く耳を持っていませんでした。つまり、「そうあって欲しくない」ということがいつの間にか「そうはならない」という理屈にすり替えられてしまうのです。結局、そんなことが起こったら今のビジネスモデルが崩れてしまうのが怖いのです。
今、電子書籍が今一歩進んでいないのは、電子書籍を出版社がやろうとしているからだと思います。つまり、電子書籍が一般化して欲しくない人が、電子書籍の規格を定めようとしているのですから進むわけありません。カメラ屋も本屋も潰しているのは、当事者ではなく、他業種です。カメラ屋が潰れても、本屋が潰れても構わないという人たちです。いま、それが具体化しつつあります。
私としては恩義ある出版社が脱皮して欲しいと願います。急流の中で船をコントロールするためには、川の流れより速く進まなければなりません。関連する業者にも脱皮を促して欲しいと思います。ものを売るという意識の販売店や書店に情報を売るという意識を持たせるべきです。また、そのための質の高い情報を提供すべきでしょう。ユーザーにどのような情報を与えられるか、それが勝負だと思います。
今のビジネスモデルに拘らなければ、各社には多くのノウハウがあります。何よりも、多くの著者との信義関係があります。それを活用すれば生き残れます。そういう信義関係を気づいた社員のいる会社が生き残ります。そして、著者に売れる書籍をつくるためのアドバイスを出来る社員がいる会社が生き残ります。これは、ネット業者では出来ません。だから、脱皮して欲しいと願います。あくまでもど素人のつぶやきです。