お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2013-10-16

[]世界平和 20:07 世界平和 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 世界平和 - 西川純のメモ 世界平和 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の好きな言葉にゲーテの「寛大になるには、年を取りさえすればよい。どんなあやまちを見ても、自分の犯しかねなかったものばかりだ。」という言葉があります。

 大学院の同級生や先輩や後輩、そして教師に「私は世界平和を実現する」と言い放っていました。たいていの人はあっけにとられるか、ニヤニヤしていました。でも、大まじめに実現しようとしていました。私の中での青写真は「日本が急速に先進国になったように、教育の力によって発展途上国を先進国にして、世界に貧困を撲滅する。それによって世界平和を実現する」というものでした。ということで大学院の1年の時に毎日13時間、研究に打ち込みました。その半数の時間をかけて、発展途上国の教育史、日本の教育史、工業教育史を読みまくりました。

 そして、大学院1年の冬に、嫌々ながら納得しました。本を読んでも一般論は分かるが、具体論が見えてこないのです。絶望しました。「世界平和」、「世界平和」と自分を鼓舞していたものが崩れてしまいました。それと同時に、青年海外協力隊で東南アジアに行き、理科教育を教えるということも訳が分からなくなりました。

 自分の人生が何の意味も内容になるのが恐ろしくなりました。でも、時間はどんどん過ぎていきます。周りの同級生は進路を見極め、具体的に動き始めているのです。私は13時間も研究に費やしたのに、それが分からないのです。

 何週間かかったか、思い出せませんが、結局、具体的に自分に出来ることをやろう、ということを決めました。当時の理科教育では概念研究が盛んになりつつありました。それに関する研究成果もあります。概念研究では統計分析が必要ですが、理学部出身の私には合っています。そして、統計分析も大型コンピュータも使えました。そこで、自分の持っている武器を使うことにしました。そして、自分の持っている武器が以外に強力であることが分かりました。というのは当時の概念研究での統計分析は稚拙なものであり、対象人数も少ないものでした。しかし、私は高度な統計分析も出来るし、数千人のデータを分析する大型コンピュータも使える。

 そこで「日本が急速に先進国になったように、教育の力によって発展途上国を先進国にして、世界に貧困を撲滅する。それによって世界平和を実現する」を自分の出来ることに対象を限定しました。時代は現代、対象は工業高等学校の生徒、それも電子・電気科の生徒です。それらの子どもの持つ電気概念を、普通科高等学校の生徒と比較することによって、工業教育の特徴を明らかにする研究をすることにしました。

 これを始めると、実に私に合っていました。なによりも理学部出身の感覚に合っています。一つ一つのやったことが、具体的な成果として積み上げられます。結果として、その修士論文は二つの学会の学会誌論文に掲載されました。そして、その研究手法は様々に応用できます。それによって私は学術論文を量産しました。結果として、当時の教科教育学の平均的な准教授の業績を遙かに凌駕する業績を大学院在学中に積み上げることが出来ました。

 同時に、自分の進路に関しても、青年海外協力隊で世界平和というものではなく、高校教師という至極普通の職業を選びました。分かってみると、それまでの大学院での色々な経験はそこに繋がっていたと理解できました。

 本当に願うと言うことはどういうことであるかは、今は分かります。私の好きな言葉に「志は高く、現実には柔軟に」という言葉があります。ある意味で、安易な言葉にとられがちです。でも、現実に柔軟であり、かつ、志を高く維持しつつけることは、本当の意志の力が試されます。(http://p.tl/RD4W

追伸 私は「世界平和」とは言いません。言えば、出張が海外になるで、それでは体が持ちません。それは誰かにお願いしたい。

[]学校を作る 07:15 学校を作る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校を作る - 西川純のメモ 学校を作る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の学部4年のゼミ生は「学校をつくる」という志を持っています。私は、それを尊いと思うし、実現可能だと思います。ただ、その方法を知っていれば、そして、それに必要な能力は何かを知っていればです。もちろん全国の同志の方も同じです。学校を作ることは出来ます。

 私は学校を作ったことはありませんが、コースと専攻をつくりました。

 私は大学院で理科教育学を専攻し、大学では理科コースに採用されました。それから十数年、ずっと理科という枠の中にいました。しかし、子どもの全人的な成長を願えば理科という枠内にとどまれません。ゼミ生の研究も、理科と理科以外の教科との関わりを対象とするようになりました。理科コースの先生方には、それに違和感を持たれるのは当然です。ある先生と何度も激論を交わしました。最後にその方が言われたのは、理屈は分かるが、それをやりたいならば理科を出なければならない、ということです。

 おそらく、その方は「だから諦めろ」という意味だったのでしょう。でも、私の心の中に「理科を出る」という具体的な願いが芽生えました。

 時を同じくして、橋本首相の教員養成系大学の定員削減の嵐が吹き荒れました。そこで、「臨床」という概念を当時の副学長(次の学長)に提案しました。それが通り、新コースの立ち上げが具体的に進みました。私ともう一人の若手教科教育学の助教授、そして信頼できる教授3人(そのうち一人が次の次の学長)でチームを作って、平成13年(2001)学習臨床コースを立ち上げました。

 当時の私としては大満足です。私は理科という鎖から解き放たれ、教科教育学の研究をするようになりました。しかし、立ち上げの最後の「詰め」が甘く、「臨床」の概念はシャープになりませんでした。結果的には、ジェントルマンの多様な先生方と一緒に仕事が出来て幸せでした。

 が、徐々に不満が生まれてきました。それは「臨床」をもっとシャープにした教育・研究がしたいという願いです。時は次の次の学長の時代です。

 私が「専門職大学院」という言葉を耳にした日時場所ははっきりと覚えています。それは平成16年8月4日の午前8時で場所は筑波のホテルの朝食会場です。ちょうど学会で筑波に出張し、ホテルで懇意の他大学管理職の方と一緒に朝食を食べました。その時、「西川君、専門職大学院って知ってる?」と切り出された。そこから聞いた話は驚天動地の内容でした。当然、本学が対応しなければならないことであり、それも早急に、かつ、本格的に準備をする必要があると感じました。

 お盆明けの8月19日に学長にお会いしました。当然のことながら、よくご存じでした。直ちに、学長の私的なワーキングを組むことのご指示をいただきました。ただし、私一人だと暴走するので、3人のメンバーを選んで一緒に仕事をすることを条件に出されました。そこで、藤田武志助教授、小林毅夫教授、濁川明男教授で検討を始めました。小林先生は後に上越市教育委員長として大学から転出し、濁川先生は妙高市教育委員長として転出されたが、そのような人たちと立ち上げられたことの巡り合わせを感じざるを得ません。その私的なワーキングが、公的なワーキング、準備委員会、準備講座に形を変える毎にメンバーが充実し、構想が固まりました。そして、平成20年(2008)に教職大学院が立ち上がりました。

つまり42歳でコースを立ち上げ、49歳で満足できる専攻を立ち上げることが出来ました。

私を知る方だったらお分かりのように私は規格外の人間で、バランス感覚にも欠け、徳うすい人間です。そんな私がガチャガチャ言っても話は通らない。むしろ、逆の方向に進みます。では、そんな私が願うコースと専攻が立ち上がったのは何故でしょうか?

それは私と違って徳が高く、その人が語れば耳を傾ける人も多く、そして、実際に行使できる権力のある人と私が繋がれて、その人の願いと私の願いが融合できたからです。私と同じように「臨床」をシャープにやりたいと願う人と繋がれたからです。私には分からない多種多様な手続きを根気よく教えてくれる事務の方々と繋がれたからです。

 「偉くなったら○○をする」という人は、永遠に何もしません。何かを願っているならば、今、そのために何かをする人がそれを実現します。そのためには、偉い人と繋がれなければなりません。しかし、偉い人だけでは物事を動かせません。自分と一緒になって走ってくれる人と繋がらなければなりません。それも自分よりも年上の人も、自分よりも若い人も、自分とは違う職種の人と繋がれなければなりません。

では、そのような多様な人と繋がれる自分になるためには何が必要でしょうか、それはそれらの人と繋がれる願いを持つことが必要です。自分に必要な学校ではなく、多くの人に必要とされる学校とは何かが分かっていなければなりません。そのためには教育に関わる多種多様な法規を通称していなければなりません。法規は一見、無意味に見える条文がありますが、日本の官僚は有能です。ちゃんとした意味を含ませています。その読み取りを出来る人から、それを学ばなければならない。

 また、自分自身が出来る人間であることを証明しなければなりません。「機会を与えてくれれば結果を出します」は学生だけに許された言葉です。社会においては通用しません。不十分な環境でも抜群の結果を出す人間だけが、十分な環境を偉い人から与えられるものです。抜群の結果を出さねばなりません。そのためには、抜群の結果を出している人から、そのノウハウを学ばなければならない。

 これが学校を作る方法です。簡単ですね。ふぉふぉふぉ

[]禁断の味 05:53 禁断の味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 禁断の味 - 西川純のメモ 禁断の味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の授業は基本的に『学び合い』です。つまり、課題を与えて、さあどうぞ、です。が、合間合間に暴走族に物理を教えていたときのテクニックを使います。表情や声をコントロールします。サブリミナル効果のように彼らが気づかないうちに言葉を仕込み、一定の方向に思考を誘導します。それが効果を現し、学生さんの表情に変化が現れたときの、か、い、か、ん。授業後も、その余韻に何度か浸りました。う~ん、禁断の味。

 もちろん、立っているだけで講義が進んだときの快感もありますが、上記はバランスの良い食事のおいしさに対してのお菓子のおいしさみたいなものです。食べ過ぎると、体に悪いおいしさです。

 でも、大学の講義は週1度で、それも半期の短期決戦です。出来るだけ早く、『学び合い』の集団に移行するためには、テクニックも必要です。と、合理化しているのですが、それが合理化であり、本心はケーキを食べたい甘党に過ぎないことを自覚しています。

 でも、学生さんたちは、なんて可愛いんだろう~。彼らの心の中に、「一人も見捨てない」ということの種をまきたい。

[]和歌山 05:33 和歌山 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 和歌山 - 西川純のメモ 和歌山 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11月7日の午後、和歌山県海南市立大野小学校で自主研究発表会があります。そこで『学び合い』の授業発表があります。お誘いします。