■ [大事なこと]苦労
意味不明なメモ。
私の苦労の原因は、自然科学研究を社会科学でやっていることに由来すると思う。私が自然科学で自然科学研究をやっていれば単純だったろう。でも、社会科学で自然科学研究をやっているから私のオリジナリティがあるのだろう。
■ [お誘い]東京での会
5月3日に『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://p.tl/6n5O
■ [大事なこと]生き残る教師
息子の最初の将来の夢は電車の運転手でした。今はテレビマンです。それは私の説得に基づくものです。
小学校の低学年の時は、電車好きの息子が運転手を憧れるのは当然と思い何も言いませんでした。しかし、中学年になったある日、息子と散歩をしながらじっくりと将来のことを話しました。そこで、電車の運転手を目指すべきでは無いと話したのです。息子はビックリしました。そして理由を聞きました。私は「電車の運転手という職業自体が無くなるから」と話しました。
物相手の仕事は最終的には機械に置き換えられます。電車の運転が完全に機械に置き換えられるのはいつかは分かりません。しかし、息子が退職する50年先には確実に来ると思います。その時代でも生き残る職業は何かは分かりません。でも、その可能性が高いのは、人相手の仕事だと思います。だから、そのような職業になりなさい。
と話しました。息子はショックを受けて頭を抱えました。しばらくするとテレビマンになって日本中に笑いを届けたい、という願いを持つようになりました。
さて、人相手の仕事だからといっても、安心出来ません。他ならない、教師もです。
中学校の歴史の先生は、練りに練った教案をつくり上げました。それを黒板に書くのです。おそらくどの文字を赤字で書き、どこを黄色文字で書くか、どこに下線を引くかも考えられたノートだと思います。それを毎年黒板に書かれます。朗々とした声は響き、自信を持った授業でした。私はそれが大好きでした。でも、そのような教師は今後不必要になるでしょう。
息子はインターネットを受けています。その教師は声もいいし、教材も良く練られています。また、インターネットの双方向性を利用して子どもたちがどのような間違いをどの程度しているかを把握し、それに基づく補足説明をしています。子どもたちはチャットを利用して随時、質問することが出来ます。教師はその質問の中で大事な物をピックアップして、授業の中に取り入れます。
さて、この教師レベルのことが出来る教師が日本中に何人いるでしょうか?きつい言い方ですが、1%もいないと思います。教師自体の力量もさることながら、教材作成はプロ集団がバックアップしています。そして、インターネットの双方向性を利用出来るのです。勝てるわけありません。
今後、このような媒体が取り入れられるでしょう。取り入れた方が実績を上げれば、保護者の社会の外圧が高まります。教師はそのような媒体がライバルになるのです。そして99%の教師は負けます。結果として、教師の仕事はそのような媒体を使ってどのような授業をする仕事になります。
現状の双方向システムでは収集出来る情報は限られているかもしれません。そして例外的な場合に即応する必要があるかもしれません。でも、それは全自動の電車に乗っている運転手のようなものです。現状の授業で言えば、新たな媒体が主たる教師で、今の教師は介助員の役割を担えばいいと言うことになってしまうのです。
そのような時代における教師の力量とは何でしょうか?教材の力量ではありません。それらは新たな媒体に勝てるわけありません。なぜなら一つ一つの教材を数十人、数百人のプロが時間をかけて作り上げているのですから。
指導法の力量でもありません。それもチームになったプロが行います。それもネットワークの双方向性を活用出来、高速処理することが出来るからです。
新たな媒体では出来ないこと、それはそこにいる子ども・子ども集団を理解し、管理する能力なのです。我田引水のそしりをあえて甘受しますが、『学び合い』がそれにあたります。
これから教師になろうとする若い教師は、おそらく約四十年間勤めます。しかし、自分の未来を描くとき、数年先しか見ないでしょう。そして、その先に何が必要なのかを考えないでしょう。今、彼らが大事だと思っていることの大部分は意味が無くなる将来が来ます。それは中堅の人も同じかもしれません。もしかしたら自分が教諭の時代はなんとか誤魔化せるかもしれません。しかし、その人が若手をサポートする側になった時、サポート出来るのは時代遅れのものしかなかったらサポート出来ません。
多くの学生からは嫌われると思いますが、ちゃんと話さなければならないな、と思いました。
■ [大事なこと]最悪のシナリオ
教師に暴言を吐く子、教室を飛び出す子・・・・そんな子どものために悩んでいる先生は少なくないですよね。でも、もっと恐ろしいことがあります。
高圧的で依怙贔屓の激しい教師がいました。その結果、クラスの全員から総スカンになりました。その教師が切れて「私の授業のどこが悪いというの?!」と叫んだのです。そうしたら、そのクラスで一番成績のよい子が立って、「先生の授業では無く、先生の人間性が嫌いなのです」と静かに語りました。その教師は職を辞しました。
いわゆる問題児が反発するのではなく、頭の良い優等生が反発したら教師に何が出来るでしょうか?
その子がICレコーダーを忍ばせ、教師の全ての言動を数ヶ月にわたって記録したら。
その子がクラスのみんなを主導し、全員がテストで白紙を出したら。
そして、教師が何を言っても冷静に「あなたの人間性が嫌いなのです」と反応したら。
そして、周りの教師が説得しようとしたら、綿密な記録に基づくデータで、その教師の問題点を淡々と語ったら。
荒唐無稽の話ではありません。
私の子どもの時には、子どもを気楽に殴る教師はいました。今は違います。
今でも、集会の際にやくざみたいな恫喝の仕方で子どもを脅す教師は少なくありません。どこかの国の将軍様の発言を聞く人民会議のような授業をする教師も少なくありません。問題が起こると校則の禁止事項を増やすことによって解決しようとする学校も少なくありません。
何が間違っているか?
それは、日本は民主国家であるにも関わらず、子どもも保護者もそれが徐々に浸透しているということに学校が対応し切れていないということに問題があります。そして教師が絶対権力者になってしまっていることに問題があります。どんな人であっても、絶対権力者になって、それに溺れない人はいません。
私はそれを避ける方法は、現在、日本でやっていることをやるべきなのです。
それは学校や教師を子どもや保護者が選択出来るようにすべきです。出来るか、出来ないかでは無く、民主国家ではそれをすべきだと思います。そうすることが子どもや保護者だけでは無く、教師のためにもなると確信しています。
ま、多くの人は「無理」と思うでしょうね。でも、私は無理とは思いません。少なくとも『学び合い』だったら、現状の学校の施設、スタッフ、予算で問題なく出来ます。
が、時間がかかるかもしれません。それが動くとしたら、心の病で休職する教師の数が0.5%から1割ぐらいになり、離職する教師が増えて、学校がにっちもさっちもいけなくなれば選択肢は無くなりますから。それまでにどれだけの教師が苦しむのだろうか、と思います。