■ [大事なこと]困ったな~
書かない方がいいな、と分かっているのですが、書いてしまいます。
問題解決学習、課題解決学習、あれは生活体験を対象としている限りは、子ども全員が参加できます。しかし、教科内容を対象としたならば、「絶対」に一部の子どもたちが活躍し、その子と教師との会話がほぼ全てを占める授業になります。大学の附属学校だったらば反乱は起こりません。しかし、一般校では反乱が起こります。附属学校で成り立つ論理を一般校に持ち込む、困ったことです。勝ち組が、かつての自分をモデルに教育を考えてしまうからです。
■ [大事なこと]時代
かつてソ連はアメリカに先駆けてスプートニクという人工衛星を打ち上げました。アメリカ中は、いつ宇宙から攻撃を受けるのではないかと恐れました。スプートニクショックと言います。ソ連に科学技術で負けないようにと科学教育に膨大な予算を与える国防教育法という法律が成立しました。それがため1970年代には革命的なカリキュラム開発が行われました。
しかし、ソ連がアメリカよりも早く人工衛星を打ち上げられたのは、ソ連の科学技術教育が優れていたわけではありません。当時のソ連の教育はかなり悲惨なものだったと私は理解しています。それでは何故出来たか?それは、ナチスドイツの降伏時に、ミサイルの専門家をドイツから連れてきて研究させたからです。しかし、それは、その道の専門家はよく分かっていました。分かっていたが、ソ連の教育が優れている証拠だと利用し、多額の予算を獲得した人たちがいるのです。
私が理科教育学で頑張っていた時の話です。その大会に院生と参加しました。その大会では認知研究が中心に位置づけられ、良いポジションで発表が出来ました。院生さんから「西川先生は何故、今後は認知研究が主流になると分かったのですか?」と聞かれました。私は満面の笑みをたたえて「主流になることを予想したのではなく、主流にしたんだよ」と応えました。
当時、私は三十代半ばでした。その頃の理科教育学は教育学の流れをくむ教育史と比較教育、そして教材開発が主流でした。そして認知研究は異端であり、迫害を受けていました。そこで、同年代の生きの良い研究者とグループを作りました。そして、個々独立でやっていた研究を認知研究という旗印の下で発表しました。生きの良い研究者が5人で発表すればかなり目立ちます。そして、いつの間にか、異端であった認知研究が主流の位置についています。当時の仲間はそれぞれの分野で学会長レベルのポジションについています。
なお、その前にも戦いがありました。理科教育学の研究の中で、千人レベルのデータに基づき、統計分析をちゃんとした学術論文は、私の修士論文を学会誌に投稿したものが最初です。今では量的分析は常識になっています。
今、3度目の戦いです。
今度の戦いは、理科という教科だけではなく教科学習全般であり、それ以外も戦場となります。それも理屈とデータが正しければ通るという学術の世界ばかりではなく、実践の世界も戦場となります。しかし、今回の戦いにおいて一緒に戦ってくれる人が多いのが心のよりどころです。大変な戦いですが、私は負ける気が全くありません。その根拠は、民主化し、豊かになった日本において、一人の教師が数十人の子どもを教えるという現状の教育は成り立つわけありません。早晩、泣きつく以外に道はありません。ようは、そこに至るまでの時間をどれだけ短縮するかです。
日本中の子どもの2割は地獄の苦しみの中にいる。それ以外の子どもは2割の子どもが苦しんでいることを見捨てて、毎日勉強している。そして全体の2、3割の子どもは学校を馬鹿にしている。この子たちが反乱するのは目に見えています。
現状の教育議論の多くが、フランス革命における貴族の論理のように思えるのです。「パンが食べられなければ、ケーキを食べれば良い」というような論理です。苦しんでいる子どもが、何を苦しんで切るかが分からず。かつての自分をモデルにして、改善策を考えている。