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2014-11-23

[]美学 21:03 美学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 美学 - 西川純のメモ 美学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はOBOGとの戸北先生を偲んでの自主的な飲み会です。当初の予想としては涙決壊と思いましたが、我慢しました。その代わりに「美学」というものを感じました。

 戸北先生は常にかっこよかった、生まれつきの容姿もあるけど、生き方がかっこよかった。たとえば、戸北先生を偲んでの飲み会をやろうと言えば、数百キロを離れた人が集まり、3時間もだらだらと飲み会をやっても話題が尽きない。かっこいい。

 明日は二つの大学の合同の送る会が開かれます。上越教育大学の大学としての送る会を開かれる人は戸北先生が初めてだし、今後もないだろう。その会は役職で開かれる会ではない。だって、戸北先生は学長になったことはない。あくまでも理事にすぎません。その戸北先生の会を大学で開くのは、戸北先生の会を開けば多くの人が参加するだろうし、そして、それは大学にとってメリットがあるとみんなが納得しているからです。

 日本に数万人の大学教員がいますが、学長経験者でもなく、創立者でもなく、ノーベル賞受賞者ではない人が、大学として送る会を催すようなひとがいるだろうかと思います。それは現在のみならず、プラスマイナス50年の中で何人いるでしょうか?ある意味、ノーベル賞を受賞するよりすごいことだと思います。

 かっこよすぎる。が、戸北先生はそれを望まなかっただろ。あくまでも徐々に単なるジジーになることを望んだと思います。私もそう思います。だけど、本人と意思とは関係なく、そのようになったとしたら、それを美しくしたいと願います。

 私の父が、人間の価値は葬式で泣いてくれる人の数で決まる、と教えてくれました。そうだと思います。ただ、大事なのは葬式に参列する人の数ではなく、本気で泣いてくれる人の数だと思います。これであれば国葬で送られる人も、庶民もニアリーイコールだと思います。ま、桁1つは違うかもしれませんが。吉田茂は国葬で送られましたが、本気で泣いた人は1億人ではなく、1000万人ではなく、100万人ではなかったと思います。その人となりを直接に感じ、恩を感じられる人はダンバー数の約150人だと思います。

 私の葬式の際、150人の人が本気で泣いてくれたとしたら、私の人生は「美しい」と思います。そして、その150人のコアは妻であり、子であり、孫であり、ひ孫であってほしい。

 『学び合い』に関して、科学であってほしい。だから、『学び合い』は自然に他の人が担ってほしい。物理や数学にはカタストロフィ理論やひも理論などのはやり廃りはあります。しかし、物理や数学にははやり廃りはありません。そうなってほしい。今は、私が一生懸命に本を書いていますが、そのうちに編者になり、監修者になり、そして前書き、後書きに記されるようになりたい。大村はま先生の本を読んだ私は、20年前にまだご存命であることを知ってびっくりしたことを思い出します。そんな感じがすてきです。

 自分がなしたものを次世代が受け継ぎ、静かに消えること、それが公的な私の美しい美学です。でも、当人の美学は、家族と一緒に年を重ね、「死にたくない」ということを意識しないほどぼけて死ぬ(ただし、便所は自分で行ける)ことではないかなと思うのです。それが両立できたら、とてもすてきです。

 ということを思いました。