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越後『学び合い』の会

ゼミ生主催の『学び合い』の会である、越後『学び合い』の会が10月24日に開催されます。お誘いします。

https://www.kokuchpro.com/event/f3537979894095190a9821ee897ddf8e/

現在、講演会で話すテーマを募集しています。

募集期間は、10月16日(金)まででお願いします。

スタンダードなテーマでもいいです。でも、定番は暗唱できるほど頭の中に組み入れています。私が困るようなテーマであれば、私は燃えます。

教育委員会が本気出したらスゴかった。

「教育委員会が本気出したらスゴかった。 ―コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡ー」(https://amzn.to/376gbWX)を読みました。タイトルにあるようなことが出来たのは何故かを知りたかったのです。

 お読みになれば各自が判断されるでしょうが、私の判断は以下の通りだと思います。

 第一に、トップ(熊本市長、熊本市教育長)が最悪を想定して行動していた。何故出来たかと言えば、間違ったときに非難されることを恐れなかったから。大抵の人は、こうあって欲しいと願い、最悪は想定しません。だから、常に先手を取られる。

 第二に、トップがありとあらゆる規制を外した。何故出来たと言えば、それによって生じるであろう問題の責任を取る覚悟があったからです。小役人は責任を取りたくない。だから、多くの学校はインターネットに繋げないネットを構築します。

 以上2つの最大の理由は、トップがリスク評価をしたからだと思います。最悪を想定し外れたとしても、善意から発することなのですから非難は起こらないか、起こっても長続きしない。逆に甘い想定の結果、最悪が起こったら厳しい非難が起こります。何故、これほど簡単なことが分からないかと言えば、リスク評価をしていないからです。頭を使わず、「なんかあったら色々言われる」で思考停止しているのです。

 第三に、全ての学校、全ての教員に対して、やろうとしたときにやれるような環境は整えていますが、一律にやることを強いなかった。職員室は村社会です。何かを決めるとき多数決で決めません。全員の合意形成を大事にします。もし、一律を求めれば、やりたくない人が合意できるレベル、つまり、やらないという合意しか出来ないのです。やれる人がやり、その成果を広がるのがよい方法です。

 最後に、文部科学省を当てにしていない。本の中には文部科学省のことが殆ど書かれていません。それでいいのです。だって、クリステンセンが述べているように文部科学省のような巨大組織は持続的イノベーションは出来ても、破壊的イノベーションは出来ないのです。だから、やることはやらない人への免罪符を出すのです。文部科学省がオンライン授業に前向きになれないのは、現状の顧客(子ども、保護者、教師)の多くがオンライン授業を望んでいないからです。その顧客の希望に添わなければならないからです。

 実に読みやすく、痛快な本でした。

修正

 昨日の私のメモにおいて、文部科学大臣の発言で「オンライン授業だけで学校へ行ったことにするような乱暴な代替策は現段階で考えて欲しくない」という発言があったとの記事を知り、「乱暴」というのはおかしいということを書きました。

 実際の発言の動画をご紹介いただきました(広住さんありがとうございました)。動画(https://www.youtube.com/watch?v=h0fkLwlSKPo&nofeather=True )の11分10秒以降のが大臣の発言をご試聴下さい。視聴して、文部科学大臣の発言はすんなりと聞けました。実に常識的な発言で、好感を持てます。

 その上で、残念な部分が2点あります。

 第一に、規格化という工業化社会のコードから逃れられない点です。多様な試みをやっていいと発言されているのですが、受け手の場に教師がいない授業(つまりオンライン授業)を本格的に始められる条件として、「一人一台が成立する」、「全国一斉に同じテーマでオンラインで勉強することが可能になる」という条件を挙げられています。これって矛盾です。

 実際に実施するとしたら、机上では分からないことが起こるので研究をしなければならないとおっしゃっています。私は「どうやって研究するの?」と疑問に持ちます。もし、「一人一台が成立する」、「全国一斉に同じテーマでオンラインで勉強することが可能になる」を机上の研究で構築し、実施したらもの凄い問題が起こります。

 大学入試改革の目玉が潰されたのと同じことが起こります。あれが潰れたのは、一斉にやろうとした点にあります。各大学の判断で選択させ、それに基づいて受験生が選択するというように進めれば潰れませんでした。

 どうせ、文部科学省が全面的に推進しても、殆どのところはオンラインに踏み切りません。つまり、心配するようなことは殆ど起こらないのです。ならば、推進しようとするところが安心して推進する仕組みを早期に構築するべきなのです。早期とはいつでしょうか?それは「一人一台」が整備された段階で、実施可能な方法を明らかに出来るように時期に始めなければなりません。つまり、今でも遅いぐらいなのです。

 それに「全国一斉に同じテーマでオンラインで勉強することが可能になる」ようになったら、文部科学省は悪夢と思えるようなことを財務省は言ってくるのは火を見るより明らかだと思います。

 第二に、やはり「オンライン授業だけで学校へ行ったことにするような乱暴な代替策は現段階で考えて欲しくない」という発言は乱暴です。現在、オンライン授業を推進している人達が学校に行く日が0だという人がいるとは思えません。その比率は多様でしょうが、オンライン授業とリアルな授業のハイブリッドを想定していると思います。オンラインオンリーということを言うのは極論に過ぎると思います。

 では、妥当な比率はどのあたりでしょうか?

 それは現在の高校段階の通信制高校の基準が一つの目安になると思います。なぜなら、「乱暴」でない基準だと文部科学省が判断した基準だからです。

どうしたの?

私の知っている本省の役人は法令を知悉し、微妙は表現をして、どこから攻められても大丈夫のようにしています。そして、施策が実行出来るように予算を徹底的に計画します。でも、最近の文部科学省は、素人的な感情論を表明し、予算の裏付けがない。だれかがチェックしていないのかな?
市町村教育委員会レベルです。 
 

願い

本日、子どもの頃から可愛がってくれた叔母が亡くなりました。癌です。ガリガリになって亡くなったそうです。救いは子供らに看取られて亡くなったそうです。それを聞いてショックでした。家内のそばに行きました。家内に望むこと、私より1日でも長く生きてくれること。