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ほ~らね

 私が予想したことが本の出版から2年ぐらいでアーリーアダプターあたりが認識できるようになるみたいです。ま、それでもマジョリティ、ましてやラガートは気づかない、というより気づきたくないのだろう。

 Society5.0に向けた進路指導(https://amzn.to/3sLQfJZ )で書いたことが現実となってきています(https://news.yahoo.co.jp/articles/7b5ee85fa0076756ebbb357581549af24cc90b85 )。ちなみに約5年で高等学校のシステムが破綻し、数年遅れて義務教育が破綻すると予想しています。ちなみに、あてずっぽではなく、キャズム理論を理解すれば導かれる結論です。もちろん、日本の優秀な官僚が破綻の直前になれば大なたを振るうでしょう。

 三重県の先生方は「力ある学びの場であり続けることができるよう」と思われていますが、学習指導要領の縛りがある限り、絶対に広域通信制に勝てません。ま、工業化社会のコードに支配されている人は、そういう発想は出来ませんが。

 あと2年たったら、「ほ~らね」とSNSで発信していると思います。

 ドラッカーは未来を予想する方法は2つあると言っています。一つは、現在既にある変化を外挿するのです。ただし、どの変化が未来に繋がる変化なのかを見いださなければならない。私は脱工業化社会のコードを理解しているので、それが可能です。それを理解している人には、現在起こっている事は、かなり前から起こっていたことだと理解しています。

 未来を予想する方法の2つめは、自らが未来を創るのです。時代の流れに反することは、天才・英雄でも実現できません。しかし、時代の流れに沿ったことの変化の速度を速めることは凡人でもみんなでやれば出来ます。私はそのために本を書いています。

思い

 教師として講義に手を抜きません。ただし、テクニックは手を抜きまくります。ただし、「思い」は手を抜きません。手を抜いたら、見透かす子どもは見切ります。同時に「思い」があれば、必ず伝わる子ども(つまり学生)がいると思っています。私の講義で語るものは私の過去の研究です。それには思いがあります。認知心理学を中心とした研究の場合は冷静にいられます。しかし、教師の心の封印を解いてからの研究・実践には教師の心があります。

 私には高校教師の時に犯した罪があります。普通の教師が犯す罪です。しかし、私は「言い教師」を徹底したため、普通の教師が出来ないレベルの罪を犯してしまった。そして『学び合い』研究によって、その罪の重さを知った。だから、目の前にいる学生さんに対して思いがある。でも、『学び合い』のセオリー通りに、これを分かるのは2割弱であることを知っています。だから、私の講義であれ、ゼミでもあれ、それが多くの学生さんに負担にならないようにしています。

 あるときはマシンガントークで押さえ込む。あるときは学術データを提示しながら淡々と語る。あるときは学生さん同士の会話によって講義を進める。

 ゼミの時は、バカなオッサンです。での、心の中で一人一人のゼミ生をみると、こいつを幸せにしたい、と思います。でも、同時に、それは無理だから、集団づくりが必要だと理性が語ります。

 つくづく思います。退職したら、この負担がない。

 と、思った瞬間に思いました。俺って、オンラインゼミを始めたんだ。大変さと楽しさはトレードオフだね。

 何で、こんなことを書いたかと言えば、本日は泣きながら講義をしました。我々は面白い授業、分かりやすい授業を目指しているのではありません。まあ、それはたやすく実現しますが。目指しているのは子どもの一生涯の幸せです。そのあたりを語り始めると、感情コントロールが出来ません。

 過去のゼミ生からは、「泣いてはだめ」と言われています。その通りでしょう。大多数の学生は、それを望んでいない。でも、私が伝えるべきは、私の思いを感じる人です。

追伸 教員養成系大学の講義で泣きながら講義している人って、どれほどいるだろうか。

ありがとう

 本日も家内と晩酌をしました。ヴィデオに記録した番組を見ながら、たわいもないことを話しながら呑みました。最後に、「貴方に見せたい録画がある」と言ってある番組の録画をみせました。15分程度の番組ですが、私はボロボロと泣きました。私はいい人が幸せになるのが大好きなのです。家内に「ありがとう」と言いました。家内は私のツボどころを知っています。

推敲

 私は1冊の本をたいていは3日で書き終わります。長くても1週間です。そうでないと一つの本の主張・テースト観が一貫できないのです。この期間は取りつかれたようになります。マシーンになります。へとへとになりますが。楽しい。

 そのあとは推敲期間です。

 毎日、その本のことを考え、原稿を読んでいただいた方の思いを考え、少しづつ手を入れます。その結果として、最初とは違った姿ができる。それがうれしい。

 木造の仏をつくっている仏師の気持ちです。何を描きたいかはわかる。でも、ノミをふるうごとに己の願いが何たるかを自分がわかる。本日も、そんな日でした。