■ [大事なこと]ノウハウ
昨日はMさんと個人ゼミを行いました。その議論の中で、大事なことを気づかせてくれました。
私は「教師が教えることを控えるべきである」という立場です。しかし、いっさい教えるべきではないと言っているのではありません。教える必要のないところまで、教えるべきではないと主張しているのです。となると、教えるべき部分と、教えるべき部分との境目が問題となります。
西川研究室には、現職の先生方が院生として所属しておられる。その院生の方は、現場において「自由と放任」を取り違えている事例を数多く知っておられます。そのため、我々の研究室の主張が、自由と放任に取り違える方向に誤って捉えられることの危険性を指摘されることは一度ではありません。そのため、多くのノウハウ本のように、「教えるべき場合/教えるべきではない場合」の一覧表を作成することを提案されたことがあります。
しかし、現場の状況は千差万別である。教えるべき場合は多種多様です。もし、教えるべき場合を枚挙していたならば、何ページを費やしても一覧表を完成することは出来ないでしょう。さらに完成させることが出来たとしても、その一覧表を表面だけなぞるならば、結局、今と同様に、全ての場合で教師が教えなければならないということになります。先に述べたようにノウハウ的に書くことも可能ですが、書けば誤解が生じます。重要なのは、授業や子どもに対する考え方であって、個々の事例に対する判断はそれの影にすぎません。影を追っても、そのおおもとの「考え」を誤って捉えてしまいます。
それでは、筆者らが考える授業や子どもに対する考え方とはどんなものであるのか?それは、第一に、子どもは有能である、子どもを信じるという考え方です。第二に、その有能性を生かすためには、子ども相互の学び合いが有効であるという考え方です。第三に、その学び合いを成立させるためには、教師は目標の設定と評価、それと外部との調整を行わなければならない、特に、目標の設定が重要であるという考え方です。第四に、その目標の設定を成立させるためには、個々人の目標とするのではなく、子ども集団の目標とすべきであるという考えです。4に関しては少々補足する必要があるでしょう。例えば、「これが分かると、おまえに有利だ」という目標の場合、その子が「俺が不利になっても、俺はいいや」と開き直れば終わりです。しかし、「これが分かると、おまえを含めたみんなのためになる」という目標の与え方の場合、「俺」という個人の問題ではないので、なかなか開き直れません。なんとなれば、子どもにとって教師に嫌われることは屁とも思わなくても、同級生集団に阻害されることは相当きついものです。
それでは、上記の4つを標語的に覚えればいいかといえば、そう簡単なことではありません。例えば「子どもを信じる」という言葉でも、一般的な状況で、この言葉を発したとしても、それを否定する教師は少ないでしょう。「子どもを信じる」という言葉をどのような意味で捉え、行動するかは多種多様です。従って、上記4つを標語的にまとめても意味がありません。
「日本人の倫理観とは何か?」をテーマにした日本人論は本屋でよく見かけます。ある人は「恥」と言い、ある人は「甘え」と言います。しかし、それらの単語を与えられても、何を言っているのかは分かりません。それらの単語が意味することを理解するには、具体的な事例を学ぶ必要があります。例えば外国人が日本人を理解するためには、日本人の多くが知っている「桃太郎」、「忠臣蔵」等の童話・古典を読むことが必要だと思います。我々日本人は、それらの影響を多く受けて倫理観を形成しました。おそらく、我々が考える4つの基本も、具体的な事例を通して、我々が経験したことを追体験することによって正しく理解されると考えています。
現在、新しい本の原稿を書いています。本年度中には出版を予定しています。それらの本では、なるべく生々しい事例を出しつつ、コンパクトにまとめるよう努力しました。それは「桃太郎」、「忠臣蔵」のようなお話であってほしいと願っています。それを通して我々と同じ経験を追体験し、4つの基本を理解してほしいと願っています。ノウハウ的に記述することの方がウケがいいことを十分に承知しつつ、そうかくのはあきらめました。
追伸 新しい本の中に、さっそく上記を書かせてもらいました。どこに書いたかは、読んで探してくださいね。(と宣伝を締めくくる)