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2002-05-24

[]異年齢(異学年)学習の意味 10:36 異年齢(異学年)学習の意味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異年齢(異学年)学習の意味 - 西川純のメモ 異年齢(異学年)学習の意味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 異学年の教科学習は,現在、我々の研究室での大きなテーマの一つです(もちろん、全てではありません)。現状では異学年活動は、児童会・生徒会、委員会、掃除、登下校等で行われていますが、教科学習では殆ど行われておりません。僻地校において複式学級は行われていますが、その場合は、それぞれの学年は別々のことを学んでいます。物理的には一緒にいますが、異学年の教科学習は成立していません。

 「何故、異学年であらねばならないのか?」という疑問を私自身が受けることがあります。しかし、本当は、「何故、同学年であらねばならないのか?」という問いの方がまっとうな問いです。何故なら、同学年で学習しているのは学校という特殊な組織のみのことです。「ことさらに、何故、異学年にするのか?」というより「ことさらに、何故、同学年にしているのか?」というほうが正しい問いだと思います。とは言うものの、異学年の利点を説明しないと一般には受け入れにくいのは了解できます。

 異学年の利点に関しては、これまでも何度も全体ゼミで出ました。それをまとめると、同学年で活動を行うと、サルの世界と同様に、どちらが上かという闘争が起こります。ところが、異学年で活動すると、闘争がなくすんなり序列が決まります。我々の研究によれば、学び合いが成立することによって「序列」が、「同等に尊敬すべき役割の分担」に変化させることが出来ます。このような移行が、すんなりと出来るということが異学年の利点の一つです。でも、この利点は本質的なものではありません。同学年であっても、ある年月がたてば「序列」は生じますし、学び合いによって、それを「同等に尊敬すべき役割の分担」に変化させることが出来ます。

 それでは、決定的な利点は何かといえば、文化の継承が出来るということです。教科学習において、どのように学び、どのように協力すればよいかというものは、集団ごとに持つ文化に依存するものです。多くの教師は、新しいクラスを持つたびに、自分なりの文化をクラスに根付かせるために奮闘します。ところが、異学年集団ではその必要がありません。何故なら、その文化を持っている集団の中に、新参者が入るため、教師がいちいちやらなくても文化の継承が行われます。さらに、回りが実際に行っている行動を見ることによって、そのような文化を速やかに理解することが出来ます。このような継続的な文化の継承によって、1年ごとに教師が創り上げる文化より、格段に高次な文化を創り上げることが出来ます。この利点は、クラブ・部活指導で成功した教師ならばよく分かることだと思います。また、教師であれば、転任した際に感じる学校ごとの職員室文化の違いに置き換えることが出来るでしょう。

 私にとっては、「何故、異学年か?」と問われると、心の中では「この先生は、同学年でやっているんだな。よくまあ、同学年で頑張っているな~、ご苦労様。でも、子どもたちこそ大変だな~」と感じてしまいます。少なくとも、私に関しては、教育・研究活動を同学年でやれといわれたならば、今出来ることの十分の1も出来ないと思います。学習者の協力関係が成立した学習集団のパワーのすごさを知ったものにとっては、どんなスーパーマン教師の能力もたかがしれていると分かります。