■ [発見]初めての教授会
先週の水曜日に「教授会」に参加しました。初めての参加ですので、わけが分からないので、ボスのT先生に引率をお願いしました。参加してビックリしました。私が今まで参加した会では、基本的にどこに座ってもOKです。しかし、教授会では「部」ごとにまとまって座ります。また、マイクが用意されているのでビックリ。さらに、席には茶碗とお茶が用意されてビックリです。
会議が始まって、最初に学長から新メンバー(つまり私)の紹介がありました。起立して一言だけ挨拶して着席しました。前から予告はあったもののびびりました。つづいて議事が始まりました。「声に出したい日本語」という本が売れましたが、それを思い出しました。教務関係で案件に関して、一人一人が議事にかかりました。発議する教務の先生が議事を読み上げるのですが、まさに「声に出したい日本語」そのものです。普段使われない日本語が、美文調に朗々と読み上げられます。次の学生に対しての案件も、その学生の名前の部分は変わりますが、その他は全く同じ美文が朗々と読み上げられます。その度に、議決が行われます。
教授の新米だから、愚かにも思うのですが、なんとも時間の無駄のように感じます。だって、本人が「退学したい」と言っているものを議事にかけてどうするんでしょうか?仮に、それが否決されたらどうするんでしょうか?嫌がる本人を強制的に在学させるのでしょうか?かえって対外的な問題となるように思います。十歩下がっても、全員一括で議事にかけたほうが効率的です。
と、思いますが、きっと愚かな新米教授だからそう思うのかもしれません。でも、独立法人化となれば、どうなるのでしょうか?
追伸 試しに1時間あたりの教授会を費用に換算しました。方法は、平均的教授の年収を年間の勤務時間(1日8時間、一月20日と換算)で割ると時間あたりの単価になります。そなると、約5千円となります。教授会の参加者は、管理職、事務職を併せれば90人程度となります。となると、45万円ぐらいです。教授会は2時間ぐらいですので、90万円のコストとなります。
となると可能性としては3つあります。
第一は、愚かな新米教授には分かりかねるけど、90万円の価値がある会議である。
第二は、90万円分の給料を払っているが、実質、それだけの働きを、教授の多くはしていないと思っているので、せめて会議を開いている。
もちろん「1」に決まっていますが。
■ [大事なこと]27禁止
昨日のゼミでは、我々の研究室の本が、若い先生に読まれたとき、どうなるかということが話題になりました。Hさんからは、「あの本を若い先生が読めば、混乱する」と言われました。またKoさんからは、「あやまって学び合いを行い、失敗して、学び合いは有効ではないという誤った考えを持ってしまうのではないか?」と言われました。さもありなんと思います。
自分のことを思い出してもそうでした。新任の先生の場合、とにかく明日の時間に、子どもたちの前に立てることだけにきゅうきゅうとしています。とにかく、毎日毎日数時間の教案を考え出さなければならないんですから。そうなると、「その背景となる考え方」なんてどうでもよく、とにかくすぐ使えるノウハウに走りがちです。でも、何年かたつうちに、教材の知識がつきます。そうなると、詳細な板書計画が必要なくなり、話の骨格がたてられれば授業ができるようになります。そうなると、視線が教案から子どもたちに行くようになります。また、クラス作りが出来るようになると、授業全部を自分の主導で進める(つまり、1時間先生が話し続ける)のではなく、子どもの自由な発想を引き出し、それを楽しめるようになります。我々の研究室の研究は、そのようなレベルに達した先生に、分かる研究です。ゼミの院生さんには、「皆さんが、うちの研究室を選んだのは、うちの研究室の成果を「ああ、あれだな」と感じられる経験を持っているからだと思います。同時に、教材やテクニックの有効性は理解しつつも、それの限界を感じているからだと思います。」と言うことがあります。
本にも書きましたが、院生さんたちの指摘は十分理解しているんですが、ノウハウ的に書くことはしたくないと思っています。例えば、「自己モニター」実施の方法を細かく指定し、注意すべきポイントを詳細に書きます。そうすれば、成功する確率はかなり高くなるように思います。でも、そのようなことは書かずに、「自己モニター」の背景になる、「子どもを信じる」という考え方を理解してもらうことに力点を置きたいと思います。だって、ノウハウ的に書けば成功できるが、でも、いつまでも自立できない状態のままです。さらに、我々が気づきもしない方向に発展させる芽を摘んでしまいます。以前にも紹介した、うちの院生さんのメールにこんな部分があります。
『昨年の現場研究で「教える」ことをやめたら子供達のすごさに出会うことができた。そしてそれをじっくり見つめる時間ができたからたくさん感謝・感激することができたのです。決して私の狙った通りに動いたことをほめたのではありません。むしろそれ以上のことを連発する姿に感動したのです。』
でも、院生さんたちの指摘も確かです。テクニック的にとらえ、失敗し、誤った解釈をすることの危険性は重大です。そうなると、本に「経験5年以下の先生はみちゃだめ(27禁)」とでも書こうかな、とおもいます。でも、自分の思春期の経験から考えて、「みちゃだめ」というものほど魅力的なんですが。
追伸 でも、経験年数の短いHさんは、沖縄からうちの研究室に入ってきたんですから、若いから駄目というのも単略的です。同時に、ゼミ生のある院生さんは「経験10年、20年でも、全く気づかない先生もいるんだよね」と言っていました。さもありなん、と思います。
■ [報告]楽しかった
連休明けの火曜日に群馬県のセンターで講演を行いました。今年2回目の群馬での講演です。対象は新任研究主任の方々で150人です。群馬県の義務教育学校が500ぐらいですので、なんと3分の1の学校で研究主任が替わった勘定になります。担当したセンター指導主事の方も、「今年は当たり年です」とおっしゃっていました。見ると年齢はばらばらで、実に多様性に富んでいます。指導主事の方に伺うと、地区によって学校の年齢構成が全く異なるために、そうなるとのことでした。そのような150人の方にセンター関係者30人が加わり、180人程度が聴衆です。
私は、マイクを使ってボソボソ語る講義をする人は大嫌いです。その反動で、どんな講義でも地声(大声)で話すことを、プライドとして自らに課しています。しかし、180人相手だと、それが出来るかなと不安になりました。しかし、音響的に良い部屋だったためマイクを使わずに済みました。でも、大声で2時間以上話すことは、そうとうの運動です。とくに、講演の出だしは、とにかくパワーでこっちに向かせなければならないので、大声を出します。1時間10分話し、休憩に入ったときは、腹の調子は悪くなっていました。でも、前回の講演もそうでしたが、群馬の先生方の反応が良いので救われました。いつもは笑ってもらえない小ネタでも笑って頂けます。100人を超える人から、「聞くぞ~」というオーラをいただき、元気百倍。体力的にも、気力的にも出し切った2時間半でした。楽しかった。