お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2010-01-16

[]教育学研究 17:59 教育学研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教育学研究 - 西川純のメモ 教育学研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 型どおりの手紙文というのがあります。時候の文言などがつらつらと繋がります。でも、あれを覚えていると、たいした内容でなくても、それっぽく見えるから不思議です。

 私はメチャメチャに学術論文の業績があります。おそらく平均的な教科教育学者の10倍以上あります。理由は学術論文の書き方を知っているからです。例えば、この学会誌に投稿するならば、どんな文献を引用し、どのような手法でデータをまとめるかなどの型がどの学会にもあります。それを理解していれば、あとはその型にデータを流し込めば良いだけです。逆に、それを知らなければ、どんなことをしても受理してもらえません。でも、学術論文の業績がなければ研究者として生きていくことは出来ません。ですので学者養成博士課程とは、上記の作法を学ぶところです。しかし、その教育を学ぶ中で、おかしくなってしまう人がいます。

 教育研究者は、日本教育を良くしたいと志して博士課程に入学しているはずです。しかし、現実には論文を書かねば死にます。そうなると、とにもかくにも論文を書くこと自体が目的になります。つまり、日本教育を良くする研究をするのではなく、学術論文の業績をあげるために研究するようになります。教育研究者ではなく、教育学研究者になります。両者を見分ける方法は比較的楽です。つまり、その人が発表なり、講演を聞けば、それが実践にどのように還元されうるかを語っています。仮に語っていなくても、質問をすれば、具体的かつ現実的な道筋を語れます。だって、それを願って研究しているんですから。しかし、教育学研究者は「それは現場の教師の仕事で私は理論的に研究しています(基礎的な研究をしています)」と言います。理由は、実践に繋げようなんて思っちゃいませんから。

 しかし、現場先生が思うほど、そんな先生は多くはないですよ。多くの研究者は藻掻いています。実践に繋げられなくとも、藻掻いています。