■ [大事なこと]男の子育て
私の出身地は東京で、家内は仙台です。結果として周りには親兄弟親戚はいません。子育ては二人でやらねばなりません。息子が幼稚園に入るまで、二人の生活は全て子育て中心でした。私も積極的に大学の仕事の時間は削って子育てに費やしました。ちょうど油に乗っている時期です。仕事に集中したいという気持ちはありました、しかし、今は良かったと思います。
妻が夫を老後にどう扱うかを決めるのは、いつで、何に対してだと思いますか?家の仕事は妻という枠組みが日本にはあります。専業主婦ばかりではなく、共稼ぎです。その中で女性はがんばっています。男性はそれに感謝しています。でも、その男性は何によって感謝に応えようとしているか?「仕事が一段落したら、老後はかあちゃん孝行をしよう」と思っている人がいます。しかし、それは悲惨な老後になる危険性があります。
女性が「この人と一生添い遂げよう」と決めるのは、老後ではありません、女性にとって一番大変な時期です。それは、子育て、特に子どもが小さいときです。その時に男性がどのような行動をするかによって決まるのです。「仕事が一段落したら、老後はかあちゃん孝行をしよう」というのは言い方を変えれば、「暇なときに、何かしよう」ということなのです。
私がお仕えしたある学長から子育てが忙しかったときに夜遅くまでかかる仕事を頼まれました。しかし、それは拒否しました。そして、「先生、私の老後におしめを替えてくれるのは家内です。私は家内を第一にしたい。従って、勤務時間を超える仕事は勘弁して下さい。ゴマをするとしたら家内と決めています」と言いました。私という人間をよく知っている学長なので、笑って認めてくれました。(もちろん、翌日には学長の期待以上の書類を作りました)。ゼミ生にも「世の中で一番、ゴマをすってコストパフォーマンスが高い相手は家内だよ。上司なんて数年で替わるが、家内は一生だ」と言います。
先に述べたように子育てが忙しかったときは、積極的に大学の仕事は手抜きしました。しかし、私の業績を調べれば分かると思いますが、その時期でも遅滞なく業績を上げていました。どうしたか?ゼミ生に率直に語り、私の出来る条件の中でどのように進めるかを話し合って、それをやりました。
もう一つ、ポイントがあります。それは常にやり続けることです。私は単著であろうと、年間の連絡記事であろうと、1週間でその骨格は書き上げられます。最短は3日です。それだけの短い時間で書き上げられるのかといえば、絶えず書き続けているからです。私は家にいるほとんどの時間はコンピュータの前にいます。そして、今思いついたことをどんどん文章にしているのです。私のコンピュータの中には、そのような記事が山ほどあります。本や記事を書く際は、それらを使うのです。だから早いのです。どんな人でも10分や30分の短い時間の隙間があります。その時間をボーッとしているか、否かです。私はそういう時間も常に仕事をし続けているから、学長に対しても強い立場でものが言えます。結果を出しているからです。繰り返しますが、その差は、短い時間を使うか使わないかの差です。
子育てが本当に忙しかった時代、私も仕事に集中したい、と思いました。しかし、過ぎてしまえば、上記の通りで時間の使い方でなんとでもなります。そして、結果として息子は今でも私になついてくれます。夜になるとお話をねだるのです。可愛いものです。我が父は仕事に専念していました。忙しいときは、父に会うのは朝寝ている姿のみでした。そして我が父は、私が享受している喜びを得ることはありませんでした。