■ [大事なこと] 減々法や減加法
小学校の数学部会では減々法や減加法などという言葉が飛び交います。理学部出身の私は訳が分かりませんでした。あるとき「それって中学校に進学したとき何か意味があるのですか?」と聞きました。「無い」とのお答え。そこで「何で、そんなことに拘るのですか?」と聞くと、「う~ん」と詰まっておられました。算数部会では言わないお約束なのでしょうね。
まったく無駄とはもうしません。成績中位層の一部にとっては有能なのでしょう。しかし、将来理学部に進む子どもにとっては無意味でしょう。そういう子どもは、そんなこと意識しなくても出来ますから。
私は大学に入って、高木貞治の解析学概論を読んで初めて数学の面白さを知りました。その後、小針の確率・統計入門、松坂の集合・位相入門を直ぐに読みました。分かったのは、小中高で教えられた数学・算数は、数学のエッセンスを煮出したかすで、それも数Ⅲで学ぶ「計算」のためにのみ関係します。大学で数学を学ぶために数Ⅲがそれほど役に立ったとは思えません。むしろそれを捨ててイプシロンデルタ論法から始めるべきだと思います。
大学ではファイマン物理学を読み驚喜しました。中学、高校でなんと馬鹿馬鹿しい勉強をしたことを分かりました。理学部に進むような子どもだったら、中学校の教科書に使えます。いや、使うべきだと思います。
さて、これを教えられる教師がどれだけいるだろうか?
小学校の教師は全科です。その中には数学や物理が大嫌いな教師が理科を担当しています。中学校の理科の教師だって、理学部出身者ばかりではありません。教員養成系学部出身者の場合、小学校免許を取る人は多い。そうなると、専門の理科は20単位ほどです。さらに物理となると選択科目を入れても8単位程度です。理学部の十分の1です。さらに中学校課程だとしても、スタッフ・施設の差は歴然です。理学部出身者だって、地学・生物の出身者にとって物理は文系と同じぐらい嫌っている人はいます。
さて、先ほどのことを教えられる教師はどれだけいるだろうか?これは個々人の能力や努力の問題ではなく、システムの問題です。
たしかに、そのような子どもは少ない。でも、そのような子がクラスに二三人いるだけで、クラスの大多数を指導し革命が出来るのです。減々法や減加法が教師の職能だと思っている教師に、その二三人を掌握する能力はありません。
■ [大事なこと]独り言
1)子どもと保護者は民主国家の権利意識を持っているが、学校の教育は封建制度のまま。良い教師は啓蒙的専制君主。だから小規模な反乱が起こっている。
2)教員採用が児童数や少人数指導に基づいて行われたため、職場の年齢バランスが崩れ、職員室の教育力が低下している。
3)上記の問題を解決(もしくは文句を言われない)ために官製研修と書類作成に走り、教員が教育に向かう時間とエネルギーを奪った。
民衆が反乱を起こしている限りは革命は起きない。その社会のエリートが反乱に加わるとき革命が起こる。民衆は自分の飢えを解決したいと思っている。だから、凝縮力は小さいし、個々人のエゴが出るから分断される。反乱が革命になるには理念が必要。それによって個々人のエゴが折り合いをつけ、凝縮力が生まれる。理念を民衆は生み出せない。生み出すのはエリート。
教師は成績上位層、成績上位層の保護者が何を求めているか分からない。幸い、当人たちも気づいていません。でも、早晩気づくでしょう。彼らが求めているのは自習なのです。学校の教師の多くは彼らを育てる力はない。