■ [う~ん]善意
以下は架空の話です。
ある研究者がねつ造のデータで学位を取得しました。それに対しての非難が学位を出した大学に向けられています。結局、学位取り消しをせずに猶予期間を大学は与えました。それに対しての批判が大学に向けられています。そして、その人の指導教員に辞任を求める声もあります。
以上の批判はうなずけます。が、「でもね」とも言いたくなります。
学術の世界は善意を前提としています。意図的なねつ造や剽窃はしないことを前提としています。だから、意図的なねつ造や剽窃をしようとすれば出来ます。そして、短期間だったら騙せます。少なくとも学位を取得できるだけの期間ぐらいだったら。
私もサイコパスと思われる学生を指導したことがあります。幸い、嘘をつくことをダメなことだとは理解していないのですが、それを隠す能力がないので分かりやすかったです。しかし、悪の経典並みのサイコパス、また、自分でついた嘘を本気で信じてしまうような人の嘘を学術は短期間で見抜けません。(ただし、長期では「必ず」バレます)
だから、指導教官に道義的に責任を求めるのは分かりますが、辞任まで求めたら酷だと思います。そんなことが一般化したら、だれも学位を出さなくなります。だって、見分けることは無理なのですから。当然、大学も道義的には責任を求められるけど、あれだけ報道されているのですから既に十分に社会的制裁は受けているように思います。
また学位取り消しですが、学則上は可能だと思います。ただし、民事訴訟に持ち込まれたとき絶対に大丈夫かというほどの証拠はないように思います。刑事訴訟と民事訴訟は別ですから。よく、ネットで「そんな甘い処分でいいのか」という意見がありますが、感情的には理解できますが、訴訟レベルで考えるならばしょうがないと思います。少なくとも、大学管理職がある判断をするときは必ず弁護士の意見を聞いているはずだと思います。
しかし、ねつ造や剽窃をした研究者を弁護するプロの研究者はいないはずです。逆に言えば、擁護するか否かでその人がプロの研究者か否かが分かります。研究の世界ではねつ造や剽窃は殺人と同じぐらいの罪ですから。故意でなくても過失致死なみの罪です。従って、後にノーベル賞を取ったとしても、過失致死の過去は常に引きずると思います。
なお繰り返しますが、上記は実際の個人・団体とは無関係なフィクションです。なお、これに関するコメントは禁止です。私は反応しません。