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興味

 本日の大学の帰りに、家内から菖蒲湯のための菖蒲を買ってきて欲しいとの指令が来ました。そこでスーパーに行くと、ゼミ生と他ゼミの学生がそれぞれ買い物かごを持って買い物をしていました。近づいて声をかけるとびっくりしていました。そして、言いました。

 『それぞれが買い物かごを持っているけど、買い物かごが一つだったらゲイカップルみたいだよ。まあ、BL好きの私的にはそれもいいけど』と笑いながら言いました。もちろん、二人は笑いながら否定しました。

 私が参照する経営学者の一人がリッカートです。1950年代にシカゴ大学で活躍した人です。その人の本によれば、業績を上げる研究室の主催者の特徴は管下の学生の研究に興味を持つことです。興味ですので、色々と質問しますし、アドバイスはしますが、命令はしないのです。でも、今は分かります。研究に対する興味ではなく、その人に対する興味があればいいのです。興味を持たれているだけで、管下の学生は奮起し、自慢したがります。それがオリジナリティの高い研究の原動力です。

幸せ

 

 ゼミ生から何回も聞かれた質問の一つに「幸せって何ですか?」という質問です。私は以下のように回答します。

 幸せを決めるのは当人だよ。だから、分からない。当人も分からないこともある。だから仲間と語り合って自分の幸せを見つけ出せばいい。でもね、私の場合ははっきりしている。それは家族仲良く、健康で、だよ。幸せは普通のこと。その普通のことに喜びを感じられたら、毎日が幸せだよ。

 と語ります。

 では、毎日の幸せ以外の幸せとは何でしょうか?

 本日、家内が小田和正さんのコンサートを録画してくれました。今から三十数年前の高校1年で親友からオフコースを教えてもらってからのファンです。でも、二十二歳で自分の趣味を封印してからご無沙汰です。

 コンサートでのファンド姿は、今までのコンサートの姿とは違います。小田さんの歌う声を味わいながら、心で聞いているのです。とても幸せそうです。嬉しい、興奮ではなく、自分の人生を反芻しながら幸せそうなのです。それを見ていて嬉しくてボロボロ泣いていたら、家内がティッシュを持ってきました。

 毎日の幸せの他の幸せは何か?それは自分が関わる人の幸せに貢献したことのように思います。『学び合い』を全国に発信して、多くを得ました。

 私の研究室が直接関わった事例です。

 ある中学校に関わりました。一人の知的障害の子どもがいました。その子どもは常に特別支援学級にいました。でも、『学び合い』で通常学級と関わりが始めました。しかし、すんなりと上手くいきません。それを見ていた、マジョリティタイプの校長は『学び合い』を拒否しました。その校長から呼びつけられ、丁重に、でもはっきりと拒絶されました。

 次の校長はイノベータータイプです。それで再開です。

 でも、上手くいきません。

 その子どもは「オペラ座の怪人」のマスクを常に持っていました。都合が悪くなると、それを装着します。その子どもにとって防具だったのでしょう。それをずっとみていました。あるとき、その子がマスクを持ってこずに教室に来ました。それを分かった瞬間、私は廊下に走りました。そして5分間以上、嗚咽しました。

私はその子の人生に何かをなしたことを実感しました。そして、その子を受け入れている子ども集団に何かをなしたことを実感しました。

 そのクラスの担任から聞きました。そのクラスは仲が良くて、未だにいっしょに飲み会をし続けているそうです。もちろん、その子も仲間です。

 ベースの幸せは、家族仲良く健康です。それを超える幸せは、関わる人の幸せです。私は、日々の隙間を知り、喜びます。でも、教師の皆さんは毎日、多くを得ているのでしょうね。うらやましい限りです。

奥義

 私は『学び合い』を実践するための本を数多く書きました。そこには数多くのテクニック、手法があります。初心者はそれを読み、その通りやれば、安全に実践できます。しかし、『学び合い』の奥義が分かれば、そのテクニック、手法は不要です。

 西川ゼミは完全無欠の『学び合い』で運営されています。これを言葉で説明しても、おそらく分からないと思います。一般の研究室と別次元の運営をしているからです。そして、その集団の維持・向上をさせるために、私の本で書いたことを「全く」使っていません。

 しかし、このことをあまり書くと、「剣の道は心である」という言葉と同じで混乱が生じてしまうし、不安になってしまいます。だから、初心者の人は先人が切り開いた「型」をしっかりと学び、その通りにやることを薦めます。

 まあ、『学び合い』を3年以上実践し、かなりの成果を上げている方に書きます。

 何故、テクニックは必ずしも必要ないのか?

 それは子ども達が学び合うこと自体はホモサピエンスの本の脳の中に組み込まれているからです。だから、それを開放すればいいだけのことです。鳥かごの中でずっと育てた鳥であっても、鳥かごの外に出せば大空に羽ばたきます。それにトレーニングも、飼い主のテクニックもいりません。つまり、ほっとけばいいのです。思い出して下さい。自習課題を与えて教師不在の状態にして下さい。何もしなくても大多数の子どもは学び合います。それがもっとも効率がいいからです。

 しかし、ホモサピエンスの本能にないものが二つあります。

 第一に学び合う関係を結ぶ相手が限定されています。ダンバーという研究者によれば150人がホモサピエンスの限界だそうです。この数は親・兄弟・親戚や近所の人を含んでいるので、まあ、学校であったクラスメートの場合、数人程度が限界です。

 第二に、学校で学ぶもの大部分に対して、学ぶ意義を持っていません。

 だから、教師がやるべき仕事は、ここにあるのです。

 どうするか?

 集団の中のキーパーソンとなる、イノベーター、アリーアダプターの16%の子ども達に、多様で、多数の人と関わり合うことが得であることを納得させなければなりません。その場として、学校の勉強が有効であることを納得させなければなりません。

 まあ、型どおりのことをやっていれば、8割か9割ぐらいの子どもが有機的に関わる集団をつくるのは比較的簡単です。ただし、型どおりにやった場合です。でも、最後の1割、最後の一人までも含んだ集団にするのは驚異的に大変です。何故なら、その人達を集団に組み込むには、キーパーソンはもの凄く頭を使い、苦労しなければならないからです。単純に、楽しい、勉強が分かる程度では手抜きをします。

 だから、面白い授業、分かりやすい授業のために『学び合い』を実践している方では、この壁を越えられません。

 ユーチューブで私とゼミ生の会話は公開しています(https://www.youtube.com/channel/UCYaLRGq6dbEP63IGwQd0QFA)。聞けば分かると思いますが、『学び合い』のことは殆ど会話に現れません。その代わりに何を話しているかといえば、これからの社会はどうなるのか、そこで幸せに暮らすには何が必要かを語り合っています。そこでは経営学、経済学、歴史学、生物学の知見に基づいて語ります。

 頭の中に、脱工業化社会のモデルが創り上げられると、自然の多くの人とは違った見方で問題を見ることが出来、多くの人とは違った解決の道が見えてきます。

官僚達の夏

 私の好きな小説の一つに、官僚達の夏という小説があります。ご破算になった日本に、あるべき次の姿を見いだし、そのために多くの人たちの反発に戦う官僚の姿があります。

 今の、官僚は誰と戦っているのでしょうか?

 まあ、省内のわからんちんと戦っているのでしょう。そんなことしても、何も生み出せないのに。ようは分からない人はいじくらず、分かる人を増やすのです。みんなが分かる案を考えているならば、反対する人に合わせなければならない。つまり、何もしなくてもいい、という案になります。今、そういうふうになっています。

 やりたくない人は、やらなくてもいいですよ。やりたい人を補助します。その活躍を宣伝します。ようは、やりたい人が、周りの人に広げる犬馬の労をついやすか、それともタブレットを多くもらえばいいのか?

 ま、いいのです。イノベーションのジレンマの示すとおりです。ニッチが市場を占有します。

 持続的イノベーションしか可能でない組織の中にいる、破壊的イノベーションの意味を分かった方に申します。今の先に未来があるのですか?その部分はあなたが何もしなくてもありますよ。ようは、メジャーじゃないところで、今、メジャーになると思うものに対する対応です。持続的イノベーションがだめだと、みんなが気づくときにソフトランディングする道を考えて下さい。凡庸な人は持続的イノベーションの先があると思っています。そうおもっているなら、どうぞ。そうでない方に、メッセージを送っています。