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幸せのレベル

 幸せそうな子どもを見ると、幸せになります。

 ある知的障害の子どもがいました。その子はオペラ座の怪人のマスクを頭につけていました。健常児との『学び合い』のとき、その子にとって都合が悪くなると、そのマスクをつけます。その子にとってはマスクが防具だったのでしょう。

 ある日、健常児との『学び合い』の時、その子がマスクをつけずに参加しました。その途端に、廊下に走りました。そして5分間ぐらい嗚咽しました。私はこの子どもの幸せになにがしかのことが出来たことを実感したからです。

 『学び合い』を実践すると、そういうことに出会います。大学教師の私でも見とれるのですから、現場の教師であれば、その機会は少なくないと思います

 その一方、家内が幸せで、嗚咽したことはありません。

 家内の幸せは、彼女が天寿を全うするまでのことを考えているからです。

 『学び合い』で目指すべき姿って、この二つの間なんだな~、と理解しました。

 つまり、一回、一回ではなく、だからといって半世紀でもなく。

集団の仕上がり方

 今から約30年弱前の話です。その頃はバリバリの一斉指導をしていました。ま、ザッツエンターテイメントの講義です。その中で初等理科教育法は異質です。基本的に学生がグループをつくり、各グループに与えられたテーマに関して発表する形式です。私はアドバイスをしますが、基本、彼らの主体性に任せていました。

 ある日、学内を歩いていたら、学生から「先生、今日は来なかったですね」と言われました。「え?!」と言った後、総身の血の気が引きました。初等理科教育法の授業をすっぽかしたのです。全学必修の科目で、スケジュールがびっしり決まっています。一度でも抜けると発表できないグループが生じます。だから、血の気が引いたのです。

 恐る恐る、「どうだった?」と聞くと、「みんなで授業を進めたので、問題なく終わりました」と事も無げに言われました。おそらく、そのころは気づいていなかったのですが、後に構築する『学び合い』と同じ考え方で授業を運営したためでしょう。

 本日、オンラインゼミ(https://bit.ly/3lMsgHn)をしました。平常は隔週の土曜日にやるのに、今回は日曜日の開催です。

 色々な仕事が立て込んで没頭したため、オンラインゼミを忘れていました。開催時間を1時間ぐらいたってから、オンラインゼミの時間であるという電子メール(グーグルカレンダーの設定)が来ていることに気づきました。血の気が引きました。慌てて、Zoomに入りました。きっと誰もいないと思っていましたが、全員がいました。そして、活発に議論しているのです。私は平謝りして、次の日(つまり今日)にオンラインゼミを開きました。

 みなさん、大学の授業で教師がこなかったらどうしますか?

 15分ぐらい待って、来なかったら自然解散ですよね。もしくは、教員を探しに研究室に行きますよね。しかし、初等理科教育法の学生さんはいずれもしなかった。オンラインゼミの人達もそうしなかった。電子メールで「西川先生、オンライゼミの時間ですよ」ということをしなかった。おそらく、私が来ないうちに自然発生的に学びが生起し、それに集中したためだと思います。

 オンラインゼミのみなさんも「いい」仕上がり方をし始めているようです。

天才

 本日の晩酌では家内らビデオ録画してくれた藤井風の特集番組を見ました。

 見ながら二つのことを考えました。

 一つは、彼は天才です。

 もう一つは、彼は幸せだろうか?という問いです。

 幸い、彼は自分の才能を生かせる立場になりました。幸運です。

 でも、彼の幸せは才能を生かせることではなく、一生涯を一緒にである人なんだけど。

 番組を見ている限りは、自分の才能が強いるものに従っている。

明日

 明日はゼミ生主催の越後『学び合い』の会が開かれます。そこで私もしゃべります。正直、何を語るべきか、悩みます。そこに参加される方は、好奇心のある方、入門者そして革新者がいます。何を語るべきか悩みます。

 ゼミ生達には「ギャラなしの講演は力が入らないんだよね」という憎まれ口を言います。そうすると男子ゼミ生は「体で払います」という馬鹿話を言います。思います、こんな会話を成立するゼミってあるのかな?みなさん、指導教員に対して、こんな馬鹿話をできました?あはははは

 私の講演時間は1時間です。これだったら、3行のメモで語れます。いまのところ2行は決まりました。あと1行どうするかな?

 この緊迫感、楽しみたい。

追伸 ゼミ生諸君。1つのメッセージで1校時の授業を成り立たせるようなってね。私は、そうしているよ。私を見ながら、自分に出来るか、自分が出来るために何が必要かを考えてね。

呼び方

 私の学部時代の指導教官は石坂昭三先生です。実質を教えていただいたのは小林克己先生です。お二人に関しては、表も裏も、石坂先生、小林先生以外の呼び方をしたことがありません。

 大学院に入って徹底的に学術研究の情報を得ると、大学教員を相対的に見ることが出来ます。大学院生から見ても、駄目な教員は分かりますし、優れた教員は分かります。そうなると呼び方は変わります。生意気な大学院生達は、かなり口汚い呼び方をしています。

 大学院の指導教官は小林学先生です。私が惚れてゼミに入れていただきました。小林先生対しては小林先生以外を読んだことはありません。でも、ゼミ生の中では「まなぶちゃん」、「まなぶ先生」と呼んでいました。

 私が高校教師になってからは、「じゅんちゃん」一色です。そう言わないのは、校長、教頭、私より若い後輩教師だけです。職員会議でも「じゅんちゃん」です。

 大学教師になったのは27歳です。今は62歳です。その間には、ゼミ生が裏で私をなんと呼んでいるか分かりません。まあ、初期は「じゅんちゃん」でしょう。

 最近、ゼミ生、私と1年以上つきあったゼミ生は私を「じゅん」と読んでいることを知りました。それを聞いたことはありませんが、あることでしりました。呼び捨てではなく、一般名詞のように使っているのです。つまり、富士山という言葉に近い。

 おもしろいな、と思います。

 ま、どう呼ばれても、私のスタンスは不動です。