幸せそうな子どもを見ると、幸せになります。
ある知的障害の子どもがいました。その子はオペラ座の怪人のマスクを頭につけていました。健常児との『学び合い』のとき、その子にとって都合が悪くなると、そのマスクをつけます。その子にとってはマスクが防具だったのでしょう。
ある日、健常児との『学び合い』の時、その子がマスクをつけずに参加しました。その途端に、廊下に走りました。そして5分間ぐらい嗚咽しました。私はこの子どもの幸せになにがしかのことが出来たことを実感したからです。
『学び合い』を実践すると、そういうことに出会います。大学教師の私でも見とれるのですから、現場の教師であれば、その機会は少なくないと思います
その一方、家内が幸せで、嗚咽したことはありません。
家内の幸せは、彼女が天寿を全うするまでのことを考えているからです。
『学び合い』で目指すべき姿って、この二つの間なんだな~、と理解しました。
つまり、一回、一回ではなく、だからといって半世紀でもなく。