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賞味期限

 本日の大学の講義は、ここ10年ぐらいで最悪でした。もちろん、つつがなくしました。笑いもとれました。しかし、幾人かの学生の「目の動き」、「微表情」から「不満」、「嘲笑」を感じました。仕方がありません、私の考えをストレートに語ったからです。

 私の考えは、大多数の人には分からない。例えば。

 「どんなにやっても、一人の教師が子ども全員をなんとかするのは無理」

 「どんなに寄り添っても、あの子を変えることは無理」

 「細かい仕掛けで解決しようとしているのは、子ども集団を信じてない証拠」

 多くの人は無理と分かっているのに、「がんばる」ことで免罪符を得ようとします。しかし、無理は実は無理ではないことを理解したくない。なぜならば、今までの自分を捨てるから。また、本当に出来るか分からないから。

 こんなことは十数年前から同じです。しかし、その際は話の内容をマイルドにして、笑いを多めにしていました。しかし、うまくやれるのに、うまくやりたくなかった。この我が儘さが、私の大学人としての賞味期限なのではないかと、ふと思いました。

 分かる人だけと関わりたい。

特異性

 明日の講義で語ることを思い描いていたら、「なんで俺の普通が普通じゃないんだ」と思い始めました。実証的データと論理で、反対意見は完全論破できる自信があります。事実、議論では100%勝てます。しかし、論理の問題ではなく、分かりたくないという感情はいかんともしがたいです。

 どこが根本かということを考え始めました。

 根本は私は一人の例外もなく幸せになってほしいと願っています。

 しかし、多くの教師は「より多く」の子どもがわかり、楽しくなってほしいと願っています。

 普通の授業をすれば、分からない子どもがいます。つまらない子もいます。寝ている子も

いるかもしれません。しかし、心の中で「仕方がない」と思っているでしょう。善意の教師はそのような子どもを「少なく」するための教材、発問を考えます。でも、分かっているのです。「無理」だと。

 しかし、私は高校教師時代、その無理な子どもがどうなるかを知りました。そして、高校から離れた途端に、どうなるかを知りました。だから「無理」とは思えないし、そう思う自分を許せない。

 以下書くことは、多くのフォロワーの方には不愉快千万なことを書きます。どうぞ、ブロックしてください。わずかな方でも、私の苦言を薬にしてください。

 心ある教師ならば、子ども達の中には業を背負っている子どもを知っています。しかし、従来型授業では救えません。もちろん、授業外にいろいろしますが、テレビドラマとは違い一話簡潔ではありません。色々としますが、卒業式で胸を張って行進すると自分を許します。それでいいのです。卒業後の教え子のことをなんとかしようとすれば、本当に守るべき家庭を守れない。

 しかし、私は教師の出発点において、義務教育の教師が一生涯経験しないことを経験しました。それは、自分が「無理」と思った子どもを切り捨てなければならないこと、そして切り捨てた子どもが奈落に落ちること、そして奈落に落ちた子どもが私に懐いていること。

 最近は解放されましたが、40年弱、教え子の夢を見ます。私はごめんなさいと謝り続けるのですが、彼らはニコニコしているのです。それをみていっそう誤り続けます。

 だから、私の教育研究は一人の例外なく幸せにすることです。馬鹿馬鹿しいですよね。でも、「より多く」は私の選択肢には入りません。そう考えている私は異端です。だから迫害されます。ま、分かっていますが。

 で、明日も異端を語ります。多くの学生さんはスルーするでしょうね。しかし、私の語ることが分かる人は、反対者と賛成者にわかれるでしょう。

ジェンダー

今から書くことは、偏見に満ちており、実証的データに基づかないことです。しかし、私個人の経験から導かれたことで、ゼミ生・我が子に語ったことです。それぐらいの偏見、許してください。ゼミ生・我が子以外には、ニュアンスが分かりづらいですから。ま、分かるかもしれない人のために書きます。もの凄い長い前置きですね。

 ゼミ生からも我が子からも(大抵は男です)、「どんな人と結婚したら良い?」ときかれます。それに対する返答です。

 第一に言うのは、「おまえみたいなやつを拾ってくれる人がいたら、ありがたく感謝しろ」です。

 第二は、結婚生活を維持し続けている両親の子どもか、です。息子が小さいとき、夫婦げんかを息子に見せてしまいました。その際に「大丈夫、お父さんと、お母さんは愛し合っているから」と息子にささやきます。家内がどんなに怒っても、夫婦関係を維持するためだと理解しています。

 第三に、家庭に招かれたときの食事です。そこが、伴侶が到達できる基本点です。私が家内の家に最初に行ったとき、食事のおいしさを色々言ったとき、後で聞けば喜んでいたそうです。ま、まともな家庭出身だと安心したのでしょう。おいしい料理で育てられた家内は、毎日、おいしい料理を出してくれます。

 では、上記でない子どもはどうすればいいでしょうか?

 それは小学校、中学校レベルから、関わり合い、お互いのデフォルトを調整すべきだと思います。残念ながら、多くの人には意味不明です。でも、私はリアルに分かります。

追伸 知らないふりをしていますが、最近は恋の花咲く研究室復活みたいです。

アパルトヘイト

 中学校のある先生から、以下の質問を受けました。

『埼玉県では今、県立高校の共学化議論が盛り上がっています。浦和高校などの名門校の同窓会長らが、共学化の反対を訴えているようです。オンラインで署名を行い、2万5千人の反対者を得たそうです。共学化すれば、社会における男女差別が学校内に持ち込まれる恐れがあるというのです。県教委は中高生と保護者にアンケート調査をして分析するそうです。『学び合い』から考えれば、多種多様な人と関われる共学がいいと思いますが、別学を自ら選んで進学できる選択肢があるのもいいのかなあと思います。この件について、西川先生はどのように考えますか?』

 

 私の回答は以下の通りです。

『私立ならばアリかも知れませんが、税金で成り立っている公教育において、納税者の子女の進学の権利を制限する場合、かなりの理由付けが必要だと思います。「 共学化すれば、社会における男女差別が学校内に持ち込まれる恐れがある」は噴飯物ですね。アパルトヘイト的発想です。社会に男女差別があるならば、なおさら共学化して、教育によって正すべきです。』