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2006-03-28

[]言っていること、やっていること 13:17 言っていること、やっていること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 言っていること、やっていること - 西川純のメモ 言っていること、やっていること - 西川純のメモ のブックマークコメント


 「教師という職業は自分の出来ないことを人にやれと言う職業だ」という言葉があります。まさにその通りです。でも、自分の出来ることしか人に求めないならば、どんどん退歩することになりますから、少々、無理を求めてもいいのだと思います。でも、この「教師」という言葉は、「学者」に置き換えた方が、もっとピッタリします。

 本日Kanさんに愚痴みたいなことを、だらだらと言いました。私が教師として悩んでいること、そして、それを我々の考えから考えたときに、どのようにすべきかという分析です。我々の考え方は、シンプルで、汎用性があり、かつ、強力です。それ故、導き出される結論は明らかです。でも、実際の教え子の顔を思い浮かべれば、悩みがあります。我々の考えから言えば、「集団の管理者たれ」と正しい道を示しているのに、「大丈夫だろうか?教師として正しいのか?」と悩みます。もちろん、最終的には我々の考えが正しいと確信していますし、その考えに従った行動をします。でも、悩みます。

 ふと思いました。多くの学者が、小学校教育はこうであれ、中学校教育はこうであれ、と書きます。でも、大学教育大学院教育に置き換えられないものが多いように思います。そのようなものは、自分の日々の経験によって評価を受けることがないと思います。我々は、小学生も、中学生も、高校生も、大学生も、そして大学で教師をやっている私自身も同じだと考えています。それ故、大学教師としての私自身の日常の経験によって、自身の考えを評価することが出来ます。それ故、健全性が保たれます。

 悩むことが多いが、自分の教師としての実践を通して悩めることは誇るべきだと、ふと、思いました。