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2014-03-05

[]2次試験 21:18 2次試験 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 2次試験 - 西川純のメモ 2次試験 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 急遽、本学教職大学院で2次募集があることになりました。そこでお誘いです。

 本学教職大学院の良さに関しては最近書きました(http://p.tl/N94r)。以下では、そこに書かないことを補足します。

 まず、非常勤講師を考えている方へ

 非常勤講師で学べることは、正式採用されれば1年で学べることです。そして、結局、担任を持たない限り、本当の職能形成は出来ません。自分の授業の出来不出来が、それから1年、数年影響するかもしれない、という視点で自分の授業を振り返らない限り、駄目です。

 それに、教員採用試験の受験勉強を思い起こしてください。非常勤講師をやって、そのような勉強が出来ますか?おそらく出来ないでしょう。現場にはほれぼれするほど良い非常勤講師の方がおられます。不思議に思って周りの先生に何故合格しないのですか?と聞くと、受験勉強をしないからだ、と言います。目の前に子どもがいれば、授業に手を抜けませんね。

 では、大学院のウリは何か?教職大学院を修了すると、一次試験免除などの特典がつく都道府県が多くなっています。

 そして、上越教育大学の教職大学院なればこそのウリは何か?(順不同です)

●受験勉強が出来ます。本学教職大学院のカリキュラムは受験勉強が出来るように、修士1年目の1月から修士2年目の8月まで、何も勉強しなくてもいいようになっています。

●現職院生さんと一緒に学べます。今、採用されて数ヶ月でやめる人がかなりいます。数年以内にやめる人はもっといます。何故でしょうか?現場の年齢バランスの崩壊で、若手を育てられない職場が少なくないからです。簡単に言えば、自分のことで手一杯の中堅・ベテランだらけの学校もいます。そんな学校に右も左も分からない若手が入れば潰れるのは当然です。そのような学校に就職しても潰れないようにするためには、手一杯の中堅・ベテランに可愛がられる若手にならねばなりません。どこで学べば良いでしょう。大学では、プラマイ3歳ぐらいの人とのつきあいしか出来ません。上越教育大学教職大学院は現職院生とチームとなって実習が出来るのです。

●長期の実習が経験できます。数ヶ月教育実習して終わり、という学部の教育実習とは違います。中長期にわたってじっくりと実習校の先生方と人間関係を結びながら、同僚としての関係を結ぶのです。ちなみに忘年会にも呼ばれるような関係です。

●免許を取り増しできます。たとえば中高免許状の場合、教科によっては絶望的な倍率の場合があります。もっと悪いのは採用自体が無い教科もあります。それであったら、小学校免許を取って、小学校の先生になるという道もあります。事実、私のゼミにはそういうゼミ生が数多くいます。小中の人事交流がある県の場合は、小学校で入ってから中学校に移動することも出来ます。第一、そのような県の場合、中学校だけというのは採用に関してかなり不利です。

メジャーな国語、数学などの免許と、技術科などの採用が少ない科目を両方持つのは有利です。というのは小さい中学校の場合、技術などの教科は講師が担当します。ところが、両方持っていれば、講師を採用しなくても良いので採用に有利なのです。

上越教育大学の教職大学院では、大学院在学中に学部の免許科目の履修が可能です。

 ということです。で、受験の情報は以下の通りです。進路に悩んでいる人がいたらお知らせ下さい。とにかく、急なことなのです。

 情報はhttp://p.tl/hInXです。

 出願が3月7日~12日です。試験日は18日です。お待ちしています。

追伸です 日が迫っているので書類等が集めきれない場合もあると思います。その他、色々な問題が起こったら本学の入試課に連絡下さい。相談に乗ります。あ、私も。

[]説明の論理 07:10 説明の論理 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 説明の論理 - 西川純のメモ 説明の論理 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』に対して様々な疑問を受けます。当然です、今までと見た目がかなり違いますから。みなさんも同様な質問を受けると思います。何度か書いたことですが、私の定型的な応え方です。ただし、穏やかにやってくださいよ。

 まず、「『学び合い』をすると丸写しをする子が生まれるのではないか?」のような「『学び合い』では●●がおこってしまうのではないか?」という疑問と、「『学び合い』で本当に分かるのか?」のような「『学び合い』では●●はできるのか?」疑問が典型的です。

 まず、前者に対する対応法です。

 「では、今までの授業で●●はおこっていないのですか?自由にさせたとたんにそれがおこるならば、子どもの本質は●●なんではないですか?そのような子どもに指導して変わりましたか?変わらなかったですよね。それはしょうがありません、そのような子どもは歴代の担任が同じように注意して、改善しなかった子どもですよね。あなたとでは無く、教師と相性が無いのですから、どうしようもありません」と話します。

 これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(1)に進んでください。「なるほど、今までの授業でも改善できないよね」という場合は(2)に進んでください。

(1)「たしかにあなたならば出来るのかもしれません。しかし、あなたの次の担任の時はどうしますか?進学先ではどうしますか?」と言います。

 これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(1-1)に進んでください。「なるほど、今までの授業でもそのレベルは改善できないよね」という場合は(2)に進んでください。

(1-1)「素晴らしい。あなたは『学び合い』で無くても良いと思います。でも、そうできない教師もいます。『学び合い』はそのような教師のためにあります」と言って引き下がります。それ以上言っても感情論に行きますから。かの大村はま先生でさえ、一部の子どもから「ババア」とよばれたのに・・・・・

(2)「『学び合い』は現状の問題点を教師の管理下で露わにして、教師の管理下で解決する根治療法をする教育です。では、どのように解決するか?教師がその子を変えようとしても無理です。でも、教師の言うことを聞く子どももいます。その子たちが中心となって、一人も見捨てない学習集団を育成します。あなたが気になる子どもは教師の言うことを聞かないかもしれませんが、クラスメートの言うことは聞きます。そういう仲間を創れば、進学先でも社会に出ても問題を軽減する可能性があります。教師が先読みして手立てを講じれば、問題が起こらないようにすることも出来るかもしれません。しかし、それは問題を先送りする対処療法です。『学び合い』は根治療法を願っています」と語ります。納得するか否かは別で、このようになればたいていの場合は、話の筋は通っていることは分かって頂けます。

 「『学び合い』で本当に分かるのか?」のような「『学び合い』では●●はできるのか?」という疑問に対する対応法です。

 「では今までの授業で●●はできていましたか?クラスの中には東大に行きそうな子どもがいる一方、知的な障害が疑われる子どもがいます。子どもたちは毎日毎日の授業のたびに、様々な疑問を持ちます。文科省の統計によれば子どもの3割は塾・予備校・通信教材・家庭教師で学んでいます。そして、多くの教師は成績中の下に合わせた授業をします。ということは3割近くの子どもにとっては、退屈な授業となっています。その子にはより高度な学習を与えるべきですね。でも毎時間、発展教材を用意したら、教師がパンクしてしまいますね。」と聞きます。

 これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(3)に進んでください。「なるほど、今までの授業でも改善できないよね」という場合は(4)に進んでください。

(3)「たしかにあなたならば出来るのかもしれません。しかし、あなたの次の担任の時はどうしますか?進学先ではどうしますか?」と言います。

 これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(3-1)に進んでください。「なるほど、今までの授業でもそのレベルは改善できないよね」という場合は(4)に進んでください。

(3-1)「素晴らしい。あなたは『学び合い』で無くても良いと思います。でも、そうできない教師もいます。『学び合い』はそのような教師のためにあります」と言って引き下がります。それ以上言っても感情論に行きますから。認知心理学のエキスパート・ノービス研究からいって絶対に不可能であることは学術的に明白なのですが・・・・

(4)「子どもたちは一人一人、違った学びを必要としています。それらに一人の教師が対応することは不可能です。理屈は簡単です。一校時をクラスの人数で除してください。1分少々ですね。さらに授業の大部分が1種類の説明で押し通したとしたら、個別支援が出来るにはごく僅かの時間です。それをクラスの人数で除してください。十数秒ですよね。これは無理だ。どんなに教師の指導が優れていたとしても十数秒では無理ですよね。例えばです。アフリカの飢餓地域に千人分の高級栄養食材を送るのと、そのお金で十万人分のくず米を送るのでは救われる子どもはどちらが多いでしょうか?取り出した1、2人に放課後1時間の指導をするのより、毎日、子ども同士が教え合う方が良いのでは無いでしょうか?第一、本人が勉強する気が無ければ全ての教材や指導法は無効です。逆に、本人が勉強する気になればどんな教材でも有効です。では、いままで勉強する気を持たなかった子に持たせるにはどうしたらいいでしょうか?おそらく、様々な教師が指導して無理だった子だと思います。だったら、同級生の「一緒に勉強しようよ」の方が可能性があるのでは無いでしょうか?さらに今まで「もう分かっているよ・・・」と思っている学習済みの子どもは教えることによって学びます。教えることが勉強になることは教師が一番分かっていることだと思います。そして、周りの子どもから「ありがとう」と言われます。勉強は出来るが、対人関係が不得意な子どもが周りとつきあい始めるきっかけになるのではないでしょうか?少なくとも現状よりは「まし」だと思います。もちろん、先生が育てたいと思っている教科の本質の部分は直ぐには教えられないかもしれません。でも、それを授業で扱うためには、クラス全員の底上げをしてからだと思います。そうでなければ、クラスの一部だけが分かって、最後に数人から素晴らしい発言があってめでたしめでたし、という授業になりかねません。もし、クラス全員が一定レベルの学力が保証されたならば、素晴らしい授業が出来ると思います」と語ります。納得するか否かは別で、このようになればたいていの場合は、話の筋は通っていることは分かって頂けます。

 以上が私の手の内です。これを印刷して配っても良いですよ。