■ [・・・]・・・
走馬燈のように思う。この半年、この1ヶ月、この数日、何を思ったんだろう。分かるわけない。また、恐ろしすぎて、分かりたくない。
人は不死にはなれない。それは私も知っている。私が死ぬ時、私が死んだ後に私に続くものを感じ、意識が遠のいて欲しいと思う。きっと彼はそのような最期だと思う。
長く書けば書くほど、彼を汚すような気がする。それが分かっても書きたい。
彼の素晴らしさを書きたい。でも、周りの方々の素晴らしさを書きたい。でも、書けるわけない。
あしたも、我々は死に向かって進む。自分が何をすべきかを考える。
でも、言いたい。短すぎた。
追伸 私が泣いているので、息子が不安そうになって私に近づいています。FBの記事を見せました。息子は黙って私の顔を見ています。今から、息子と一緒に寝ます。
■ [大事なこと]大局戦
本日、悩める同志に書いたメールの内容をここに書こうと思います。
多くの同志が、それぞれの職場を何とかしようとしていると思います。ところが何とか出来ずにイライラしていると思います。私もそうです。私は日本各地の多くの教師と繋がり、影響することが出来ます。ところが、私の地元の上越では無力です。
何故でしょう?
人間が正しい、正しくないを判断する基準は論理やデータではありません。周りがやっているか否かなのです。少なくとも圧倒的大多数は。そして、それは多くの場合は正しい。もし、人が全ての正しい、正しくないを論理やデータによって判断していたとしたらパンクします。だから、周りがやっているか否かで判断するのは多くの場合は正しい。しかし、それだけだと変わりません。結果として環境の変化に対応できません。だから、人間の中には、正しい、正しくないを論理やデータで判断する人も含まれています。ただし、その数は必ずしも多くは無い。多くは無いけどいるのです。
自分の職場や地元の中にその様な人がいるかどうかは分かりません。しかし、県レベル、全国レベルにはかなり安定して「います」。
だから、正しい戦い方は、広い範囲で戦うべきなのです。その中で仲間を増やすのです。その仲間の中には、自分には説得できない人を説得できる人がいるかもしれません。
私は絶えず、日本レベルで何を出来るかを考え、少しずつやっています。
今日も、しばらくしたら出る予定の連作本の一つの初校ゲラをチェックしました。そして、まだ形にならないけどICT活用の本の原稿を25頁を書きました。そして、ある出版社からオファーのあった本の基本構造を決めました。少しずつでもやり続ければ、かなり進みます。明日は、連作本の次の初校ゲラのチェックをします。そして、オファーのあった本を書き始めようと思います。少なくとも20頁ぐらいは。
大学の教師である私は本を書き、講演をすることが主戦場になるでしょう。同じような戦場で戦ってもらえる同志も増えつつあります。しかし、その他の面でも色々と出来ます。例えば、小さくとも継続した会を維持発展することは、私には絶対出来ないことです。そして、それ以外の様々なことがあるでしょう。