■ [大事なこと]助けて
「我々が成していること。成そうとしていること。それは小さいかもしれないが、日本の色々なところに影響を与えている。もし、我々が成していることによって、一人の教師が変われば、その教師が教えている数十人の子どもの人生が変わる。そして、その教師が生涯に教えるであろう千人の子どもの人生が変わる。その教師が中高であれば、その年度うちに数百の子どもたちが、週のうち数時間、見捨てられない時間を過ごすことが出来る。そして、その教師が生涯に教えるであろう数十万人の子どもの人生を変えることが出来る。逆に言えば、我々が成すべきことを成さないならば、どれほどの子どもの人生を崩すことになるか。その中には自殺にまで行く子どももいるかもしれない。そこまで行かなくても奈落の人生を過ごす子どももいる。それでいいのだろうか?
助けて、助けて~っという声が聞こえないか?」と語ります。最後は冗談っぽく、満面の笑顔で。
学部生、学卒院生は、私の語る言葉の業の深さを知らないでしょう。現職派遣教師も、その教え子の圧倒的大多数は、苦しくても奈落には落ちません。でも、私の教師としての原体験はギリギリのところで生きている子どもたちです。
高名で、素晴らしい教師が、「授業で分からないところがあってもいいんだよ。あはははは」と言いました。おそらく、その先生は子どもの苦しみを知らないのでしょう。しかたありません。責める気持ちも起こりません。牧歌的な教室の中で、二十四の瞳のような子どものとの繋がりの中で長く時間を過ごしたのかもしれません。
でも、私は違います。冗談っぽく、満面の笑顔で「助けて~」を語る時、私の頭の中にはリアルな子どもの顔が見えます。私が話術や教材や授業方法で自己満足していた中で、奈落に突き落としてしまった子どもの顔が見えるのです。だから、焦るのです。その子たちへの贖罪は叶いません。でも、その子たちの子や孫を救うことによって贖罪をしたいと思っています。
責める気は起こりませんが、話術や教材や指導方法でなんとでも出来ると思っている人に対して、「聞こえないのか!」と思うことがあります。ゼミ生でも分からないかもしれません。なにげに子どもを奈落の底に突き落としている事実の重さを。私だって、教え子の殆どを突き落としたということに直面する場に置かれたから忘れることは出来ないのですから。ま、ゼミ生にそれを追体験させたいとは思いません。
■ [大事なこと]セカンドライフ
今日の朝、退職後のセカンドライフをどのように過ごすべきかというNHKの番組がありました。結論から言えば、地域に貢献するサークルに参加するというようなものだったと思います。とても良い番組でした。しかし、そこに出ている内容だけでは足りないように感じました。それはサークルメンバーの多様性・流動性です。
多様性・流動性が低いサークルは、上下関係が固定化し、役割も固定化します。結果として、一部の人にとっては居心地が良いのですが、一部の人にとっては居心地が悪くなります。そして、内部の一部メンバーで固まります。
これを避けるには、メンバーが多様性と流動性を高める必要があります。
どうしたらいいか?
地域のシニア世代では多様性や流動性を高められません。だから、子どもや学生をメンバーに加えるのです。そうすれば多様性は高まります。そして、子どもや学生はその地域からの流出しますし、流入します。
では、どうしたらいいか?