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2015-02-11

[]幸せ 22:16 幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幸せ - 西川純のメモ 幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学校の先生の中で「幸せとは何ですか?」と子どもに問いかけられたとき、真顔でちゃんと語れる人がどれだけいるだろうか?この種の問いには答えはありません。ただ、その人なりの考えを持っており、それが自身の教育に反映されているか、を申しています。

 それが語れないから、とりあえず今日の課題が出来ることを求めている。しかし、それがその先生の手を離れたときの幸せに繋がるかを放棄している。典型的なのは、小規模校の先生が手を入れまくって分からせて、上級学校で破綻する例です。

 そして、とりあえず進学する方が良い、とりあえず偏差値の高い方が良い、と考えます。もちろん、それほど単純では無いことを知っています。しかし、進路指導に関して偏差値以上の情報をもっている先生がどれほどいるでしょうか?例えば、大学ごとのカリキュラムの特徴、大学にいる先生とその特徴、就職支援はどうなっているか・・・。

 とりあえず、とりあえず・・・・

 その犠牲者がどんどん生産されます。特に、縮小経済ではもろに出ます。

 大学卒になっても、就職先からは大卒として認識されない大学に進学させます。そのために奨学金を借り、返せない人が生まれ、どんどん増えるでしょう。そのことに責任を取っている高校教師がどれほどいるでしょうか?

 それと同様に悲惨であり、日本の知の消費と思われるのは博士課程です。博士を取得しても、それを生かせない博士課程はかなりいます。もっと正確に言えば、同じ大学であってもついた指導教員によって、その後の運命は天国と地獄です。博士課程に進学するような人だったら、すこしはリサーチすれば良いのですが、それもしないような人が博士課程にいける状態なのです。22歳で愕然となるなるより、27歳で愕然となると悲惨です。オーバードクターになるともっと悲惨です。その人が博士の学位を持っているから自分は研究者として一人前と思っていたとしたら、それが違うことに気づく頃には取り返し不可能になります。博士は単に出発点に過ぎません。それをベースにして、どれだけのことができるかです。ま、相撲の世界ならば新弟子検査を合格したぐらいのものです。ところが新弟子検査を合格したら横綱になれると思っている人もいます。でも、そこまで行かなくても十両ぐらいにはなれると思っている人が大部分です。実際は、十両になれたら凄いことです。そして、最後まで十両で終わる人が大部分です。

 でも、学生さんが悪いわけではありません。ま、無罪では無いですよ。ちょっと調べれば分かることですから。でも、それより罪が重いのは、その世界で長く生きている教師の責任です。教えないから、そんな行き違いが起こる。そんなことで直ぐに信じてしまう博士受験生が多いのは、小中高で高学歴がいい、偏差値が高ければ良いという単純な判断方法を植え付けられていたからです。

 つまり、子どもの人生を考えず、とりあえずの価値観を与えることの危険性は特別な支援が必要な子どもばかりでは無く、大学受験、博士受験をする学生さんも同じです。

追伸 それ故、私が博士を指導する際は、既に職を持っている人に対して、その職を捨てない条件で、かつ、博士の学位を与えられると確信した人のみしか受け入れません。人の人生に関わると言うことはとても恐ろしいことだからです。http://goo.gl/JFi6vo

[]次 21:35 次 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次 - 西川純のメモ 次 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 特別支援教育に関して『学び合い』の本を出しました。私は読み直して涙を流しました。良い本です。http://goo.gl/15vRom

 某日某所で、共著者の間波さんに次を語りました。

 今回の本は、現状の価値観の中で受け入れられて、現状の中で一歩進められる本です。だから、直ぐに使えます。直ぐに効果があります。

 でも、『学び合い』での願いは、一人も見捨てずであり、生涯の幸せです。

 特別な支援が必要な子どもはに「普通(?)」を求めても無理な子はいます。その子に横並びのことを求めても無理は無理です。『学び合い』も魔法では無いのですから。横並びを求めれば、劣等感に繋がります。だから、その様な子どもには別課題を与えます。でも、別課題は通常学級のクラスの子どもの簡略版であり、低学年版です。それを何とかしたい。そのためには、その子が不得意なことを何とかするより、その子が得意なことをどんどん伸ばすのです。それによって、健常児とは違うベクトルを特別な支援を必要な子どもに与えたい。だが、駄目なところを何とかしたい、という医療モデルの特別支援教育はなかなか受け入れられないでしょうね。そう思っている人に悪気は無い。でも、心の中に「かわいそうな子」という心があります。その心を「一人一人違って良いじゃ無いか、そのままで」という心に変えたい。

 次に、医療モデルの特別支援教育は、とにかく今を何とかしたいで頭がいっぱいです。今の問題解決が、未来の幸せに繋がると信じています。でも、そうでしょうか?私は違うと思います。それを実証する必要があるのです。特別な支援を必要な子どもが30歳、40歳、50歳、60歳、70歳・・・となったときに、何が必要か、それを明らかにしたい。残念ながら、特別支援教育で頑張っている先生はその視点が無い。今、自分が担当しているときの子どもが幸せかどうかに目を奪われている。それが証拠に、卒業後の子どもの生活を気にしている学術研究や実践研究は殆どありません。

 細かい、方法論や教材の違いでは無いのです。「そもそも」のところに誤りがあれば、正すべきです。それが正されないならば、その前提で生み出されたものは意味がありません。

 それを正すべきであると気づく人を生み出さねばならない。それを目指そうと、某日某所で間波さんと話し合いました。でも、その前段階として、今の価値観や状況でも驚異的な改善が出来ることを分かって欲しい。だから出版しました。

 まずは読んで下さい。

追伸 同志から、名古屋の三省堂では平積みになっていることを知りました。

[]中信の会 21:14 中信の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 中信の会 - 西川純のメモ 中信の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

2月13日に長野県塩尻で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。

http://kokucheese.com/event/index/251247/

[]次のステージ 19:48 次のステージ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次のステージ - 西川純のメモ 次のステージ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は本学教職大学院のプロジェクト発表会です。といっても何が何だか分からないと思います。教職大学院のカリキュラムには学部の実習よりも長期の実習を課せられています。これは全国全ての教職大学院は共通です。本学教職大学院の特徴は、現職院生と学卒院生がチームになって教育実習に行きます。一人が単位の実習と違います。それも現職教員と学卒院生がチームになるということが特徴です。

 もう一つは教育実習であると同時に、一人一人の学生の研究テーマをそこでやるのです。例えば理科実験の指導を研究したい学生は、実習では理科実験を中心とします。特別活動を研究したい学生は、実習では特別活動を中心とします。これが特徴です。つまり、授業を一般的にする学部の実習とは違います。

 同時に、単に授業をやるばかりでは無く、学校教育のありとあらゆることを経験します。ま、常勤的非常勤の時数削減版みたいなものです。とにかく、教師がやらねばならないことを一通りやるのです。これが特徴です。

 このようなことを実習校が受け入れてくれるのは二つの理由があります。第一は、学生の指導は実習校の教諭が責任を負うのでは無く、大学教員が責任を負っているのです。第二は、学生の研究テーマが学校の課題であるようにマッチングさせているのです。だから、学生が研究したいことを追求することが学校のメリットになるのです。

 と軽く書きましたが、これが出来るためには教員は驚異的なことを求められるのです。つまり、研究指導が出来なければならないのです。同時に、板書の仕方、発問の仕方のようなレベルも指導できなければならないのです。一般的には研究者教員と実務者教員に分かれていますが、本学の教員は両面を持つことを求められているのです。

 第二に、マッチングが上手くいくのは、地元の学校が本学を大事にしてくれているからです。そして、地元の学校の事情と、大学教員の特徴をよく分かっている特任教員が仲立ちをしてマッチングします。そういうことが出来る特任教員がいるのです。そして、マッチングが終わった後は、大学教員が現場学校に何度も足を運び、いろいろと交渉ごとをします。つまり、現場の校長や教務主任や研究主任とちゃんと話が出来る大学教員で無ければならないのです。

 その教育実習での成果を発表するのが本日です。我々の発表を見に、現場の学校の校長先生や教諭の先生が来られます。ま、息子の学芸会の発表会を見に来る保護者みたいな温かい目で参加していただいております。西川ゼミでは、なんと、大分から校長先生がおいでいただけました。感謝感激です。

 さて、いくつかの偶然が重なりました。

 本日、神奈川の北見さんから三長さんの歌のCDが送られました。墨黒々と「西川純先生」という北見さんらしい宛名が書かれた封書を開け、聞きました。彼の声を聞き、彼を思い出しました。そして、不思議に思いました。

 彼は一介の教諭です。それも若手です。本をバンバン出し、講演会には人が集まるカリスマ教師ではありません。それなのに、葬式には会場に入りきらない人が集まり、月命日にも人が集まり、そして彼を偲んでCDが作られます。これって都道府県レベルの教育行政のトップに上り詰めた人であっても難しいことなのです。それが普通の若い教師がなぜ、と思いました。

 葬式は死者のためにある以上に、生者のためにあるからです。彼を理由に集まることによって、心が豊かになり、勇気を貰えるからです。そうなれる理由は、彼はそういう人であり、周りの人の心を豊かに出来る人だからです。凄いな~、と思いました。

 偶然の二つ目です。

 その発表会には毎回、外部評価者を呼びます。今年は早稲田大学の水原克敏先生です。発表会の最後に評価をいただきました。お話を伺うだけで、お人柄が分かります。とにかく良い先生なのです。学生たちが元気になるお話をいただけました。本学の実習を高く評価した上で、その上を目指すべきだと宿題をいただきました。特に発表会の発表の仕方に対してです。たった20分間ですが、最近お話を伺った中で、一番、心が温かになるお話でした。

 偶然の三つ目です。

 私は教職大学院開設以来、ずっとコース長です。教職大学院全体の懇親会では、専攻長が最初の挨拶、そして乾杯はコース長の私です。乾杯の挨拶の際は、皆さんコップをお持ちです。だから私の挨拶は短くなければなりません。ところが、専攻長がお体の加減が不調なので、急遽、私が最初の挨拶と乾杯をすることになりました。

 で、考えたのです。

 本日、水原先生からいただいた宿題に対して、私なりに回答を考え、学生さんに語ろうと思ったのです。その時、思い浮かんだのは三長さんのことです。一人でも多くの教師が、周りの人に心の豊かさと勇気を与えられる教師になれば日本の教育は良くなります。そして、それを組織的に育成できるとしたら、本学教職大学院だと思います。

 本日は三長さんの思い出と、水原先生のお話を語り、本日の発表会の次のステージは、参加者を感動させ、涙を流させる発表会だと語りました。

 ま、私が長めに話せば、くさい話になります。当然、「くさいな~」と思う人もいるでしょう。そして多くは「話が長いな~」と思うでしょう。が、『学び合い』のセオリー通りに、私の語ることにロマンを感じてくれる2割が必ずいます。そして、本学教職大学院の場合は、2割では無く、3割、4割、それ以上だと思います。

 ということで、本日の大任をこなしました。

 お二人のおかげで、色々と考えることが出来ました。感謝です。