■ [大事なこと]目的
多くの先生が「子ども」という言葉を安直に使います。この発問は子どもにわかりやすい、この教材は子どもに合っている。
子どもという子どもは一人もいません。
そして、三十人以上の子どもを一人一人理解したとしても(絶対に出来ませんが)、その総和は子どもたちではありません。相互作用がありますから。だから、個々人の子どもを追い求めても意味がありません。
同様に中央教育委員会の委員という委員は一人もいません。文部科学省の役員という役人は一人もいません。一人一人の思いがあります。だから、その個々人を追跡しても無意味です。
じゃ、どうするか?
一人一人の思いではなく、文章になったものです。公的なものは途中過程で一人一人がどう思ったのかは重要ではありません。最終的に文章になったものが大事です。
では、文章は全て大事かと言えば、そうでもありません。文章は一人一人の思いの妥協点です。一人一人の思いを含ませています。だから、全体的に読めば総花的になるのは当然です。それを統一的に理解するなんてそもそも無理です。
では、どうするか?
方法ではなく、目的に注目すべきです。
中央教育審議会の方々、文部科学省の方々は、今後の教育はどの方向性に進むべきかは語れます。しかし、具体的に何をすべきかを語れるのは現場の教師です。一方、現場の教師は今できることに縛られて、今後どのような方向性に進むべきかは見られません。
だから、大事なのは文章で決まったことの目的に注目すべきです。そして、その目的を達成する方法は「創造」すべきなのです。
と私は思っています。
が、誰がこういった、誰がこう書いたに注目します。そして、どうすればいいかに注目しますが、何故、そうしなければならないかは問われません。
それでは本質的な改革は無理です。だから、しつこく書きます。
■ [ゼミ]教育長
私のゼミは全員で32名です。その32名が明日より越後『学び合い』の会を開きます。たまに学生さんのいる部屋に行くと、県指定の研究会直前の職員室みたいです。ただし殺伐としておらず、ほわほわした感じです。
私の立ち位置は「校長」の立場かな、と思っていたのですが、そうでもないように思います。感じとしては「教育長」レベルみたいです。とにかく私と関係なくどんどん進んでいます。特段、私が何かをしたということはありません。
明日、明後日の私の仕事は、「飲み会の前の挨拶」と「講演会」の二つだけです。主催者は西川ゼミです。一言加えると、西川ゼミの中には私は入っていません(この感覚は分かりづらいですが)。
とにかく、ものすごく安心して、ものすごく楽しみです。
追伸 ということで、私は閑です。気軽に話しかけてください。
追伸2 そういえば、直前になってFBにアピールする仕事を「命じられました」。