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2017-08-07

[]いい授業 19:47 いい授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - いい授業 - 西川純のメモ いい授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の思考回路との特異性は、最底辺の子どもの実態をすり込まれているからです。

 私は、多くの子どもを幸せにするではなく、全員を幸せにすることを目指しています。それからこぼれたならば、どうなるかを知っているからです。

 子どもたちの半数近くは、多くの教育実践で想定している子どもと違います。最後の2割の子どもは、出来ません。

 でも、その子どもも救いたい。

 私の言動は、その想定で動いています。

 繰り返します。私は、多くの子どもを幸せにするではなく、全員を幸せにすることを目指しています。だから、大多数の子どもにとって、かなりましになるのです。

 この感覚、分かってもらえない。

[]富の創造 08:53 富の創造 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 富の創造 - 西川純のメモ 富の創造 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近は中学校区という小さいコミュニティがいかに大事かを語ります。

 ただ、本当に子どもを幸せにするためには、「アクティブ・ラーニング時代のキャリア教育入門」で書いたように、自分が何を求めているかを考えさせる必要があります。それ無しに職業体験させても砂上の楼閣に過ぎません。

 限られた収入で豊かに生きるためには、人が求めないものを求めることがポイントなのです。つまり、多様性が重要なポイントとなります。自分が人と違うならば、富は無限に生じます。

追伸 長めの講演の時は、これも語ろうかな?

[]学校観 08:24 学校観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校観 - 西川純のメモ 学校観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教育は洗脳です。

 と書くと、どきりとするかもしれませんが、事実、そうです。ある社会のルール、規範を子どもたちにすり込むためにあります。社会に依存しないルールは本能の中にすり込まれています。社会に依存するから後天的に学ぶのです。

 教育で伝えられるものが社会的であるとき教育と言われ、反社会的であるとき洗脳と呼ばれます。ある社会で教育と思われているが、他の社会はそれを洗脳と呼ぶことはよくあることです。

 『学び合い』では「一人も見捨てない」ということを子どもたちに求めます。これは『学び合い』を理解していないと、連帯責任になってしまうことがあります。また、等質であることを求め、多様性を認めない集団になることがあります。

 「一人も見捨てない」は正確に言えば、「一人も見捨てないことを諦めないことは得」なのです。それは学校観にあります。学校観は「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することを学ぶのが学校教育である」としています。注目すべきは「おりあい」であり「自らの課題」なのです。

 連帯責任の場合は何らかのペナルティを科します。が、『学び合い』では「それでいいの?」と問いかけますが、ペナルティを科しません。なぜなら、全員達成をしない、もっと正確に言えば全員達成を諦めていること自体がペナルティなのだと分かっているからです。

 『学び合い』では多様な一人一人が自らの判断で行動します。そして、最も有効な戦略は周りに折り合いをつけて協働することです。事実、社会で成功している人の多くはその戦略を使っています。

 学校においては教師の管理下に置いて『学び合い』を学びます。では、学校卒業後は

どうなのでしょうか?そこには教師はいません。

 でも、大丈夫です。なぜなら、『学び合い』で育った子どもの中の2割は「多様な人と折り合いをつけることが得だ」と分かっているからです。そして、自らの課題解決に有効なツールである学校教育で培ったネットワークがあります。その子たちが集団をリードしてくれます。

 『学び合い』の手引きのルーツ&考え方編に書いたように、現在、先進国の多くは民主国家なのは道徳的だからではありません。民主国家が専制国家に軍事的にも経済的にも勝ったからです。徳ではなく得なのです。いや、本来は徳と得は一致しているはずです。ある集団の中で得が洗練され、整理されたのが徳ですから。

 いずれにせよ、『学び合い』がテクニックではなく、考え方であることを理解する必要があります。ま、これも2割の人が分かっていれば良いのです。

[]バタフライ効果 08:00 バタフライ効果 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - バタフライ効果 - 西川純のメモ バタフライ効果 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 フォーラムから一晩あけました。主催者の方は、心地よい虚脱感にあるのではないでしょうか?

 あの会がどんなきっかけを起こすのでしょうか?

 10年前の2017年のある日、突然、新潟大学と二人の関西の学生さんが私のところに遊びに来ました。彼らは関西から新潟大学に行くついでに私のところによったのです。でも、偉いのは車中でかつては公開していた『学び合い』の手引きを読んできました。私は2時間ほど彼らの質問に応えました。私にとっては、ごくごくありきたりのことです。

 若い彼らはすぐさま関西で初めての『学び合い』の会を開きました。

 高知の先生がその数日前にネットでそれを発見、『学び合い』に対して予備知識無くその会に参加しました。そして、そのとたんにはまってしまいました。その方が高知で『学び合い』の会を開くことになりました。

 そのお嬢さんは『学び合い』を志し、私の研究室に所属しました。その前に岡山での『学び合い』の会で私のゼミ生と出会いました。二人は結婚しました。

 こんなことがありとあらゆるところで起こっています。

 遠方の大学の学生さんの相手をする、そんなたわいもないことがバタフライ効果を起こします。

 今回のフォーラムはどれほどの人の人生に影響を与えるのか、それを考えると頭がパンクしそうです。たった一人の教師だけでも『学び合い』を実践してくれれば、その人が教師人生で教えるであろう何百、何千人の子どもに、「自分は見捨てられない」という感覚を得て大人社会に巣立つことが出来ます。なんと尊いことでしょうか?そして、講演の中で申しましたように、異性に対して尊敬と愛情を持ち、それが結婚に結びついたら、と思います。

 さて、今日も「何」かをします。この文章もその一つです。

追伸 実は、『学び合い』がきっかけで結ばれるカップルがあることを、フォーラムで知りました。めでたい。