■ [大事なこと]事故
雪崩の事故で多くの子どもが死んだ。親御さんの気持ちを察すると辛い。死なれた教職員の方も人の子である。その方の親御さんのお気持ちを察する。
理科でも、体育でも事故はあります。死に至る事故もあります。残念な事実ですが、事故は完全になくすことは無理です。だから、事故があるから、それを禁止するということは短略的な判断だと思います。そのことの教育効果と事故の可能性を考慮に判断しなければなりません。
が、思うところがあります。最初に、私は素人です。と宣言した上で書きます。
事故責任者が謝罪の言葉を出さず、淡々と語っているように思います。これは「山の事故は仕方のないことだ」と思っているのだと。そして、その業界関係者もそう思っているのではないかと想像します。「もしも、この私の想像が正しい」ならば、山岳部は全面的に廃止すべきだと思います。
逆に、山岳部関係者が「なんでこんなことしたんだ?!」と思っているならば、事故の再発の可能性を減じることが出来ます。その場合は廃止すべきだとは思いません。
■ [大事なこと]脱する
大事なことです。
入門段階を脱した証拠ですね。
ちなみに、西川ゼミは私が本で書いたテクニックを全く使っていません。
テクニックの多様さ(引き出しの多さを誇るのではなく)、テクニックを使わないことを誇ります。
■ [大事なこと]アクティブ・ラーニングの成立条件
アクティブ・ラーニングが学会で出来るか、免許講習会で出来るか、ということに関して書きます。
アクティブ・ラーニングが成立するためには、メンバーの一定数がそれを既習であることを前提としています。
人類の学習は基本的にアクティブ・ラーニングです。それはホモ・サピエンスの黎明の時から現在もです。例外は、200年弱の歴史しかない学校教育だけのことです。
人類の歴史では、熟達者の中に新参者が参入するという形で学習が成立しています。身近な例では、職員室に新任教員が配属されるようなものです。それは全ての職場も同じです。徒弟制の時代はもちろん、最初の狩りに参加するホモ族も同じです。
文部科学省のアクティブ・ラーニングの源流の一つはアイビーリーグの学習です。教師が長々と説明するのではなく、学生が議論を戦わし、教師が行司役、評価者の役割を果たします。そのためには、教師は一定の図書を指定し、学生はそれを熟読していることを前提としています。
学会でも、免許講習会でも、一定の図書を読んでいることを前提と出来るならばアクティブ・ラーニングは出来ます。が、それは無理ですね。ですので私の関わる学会や免許講習会ではアクティブ・ラーニングは出来ません。一方、『学び合い』の会ではバリバリのアクティブ・ラーニングをしています。理由は一定以上のメンバーが既習ですから。ちなみに西川研究室は完全無欠のアクティブ・ラーニングです。その実態を知れば、『学び合い』実践者もどん引きしますよ。「そんなことまで学生に任せていいの??????」と。
■ [嬉しい]九州
本年度は一度も九州に参りませんでした。しかし、来年度の6月の中旬に九州に参ります。オファーがあったとき、最初は私の出張の基準(http://goo.gl/mkZf6O)を知らないでのオファーと思い、それを伝えました。その校長は「作戦をたてます」とのレスです。正直無理かなと思いました。遠方の講演の場合は、助成によって予算獲得するか、複数の学校が協同で呼ぶしかないですから。しばらくすると、予算を確保したとのこと。ビックリして「私費は含んでいないですよね?」と確認しましたが、あらゆる予算をかき集めたそうです。これだけの熱意があるならば、その学校の準備は万端なのでしょう。
私の講演は劇薬です。普通の講演会で聞く分には、ある意味気楽です。それなりの話術を使いながら楽しくためになる話をする自信はあります(いわゆる金の取れる話)。でも、自分の学校に管理職が呼ぶとなると話は別です。その学校の先生方の中には「あれをやれっていうの!」と思う方がいて当然です。その方々が構えてしまいます。一方、その学校の中に実践者がいて、学校でやろうという構えが出来ているならば、それは触媒になります。
その学校は後者なのでしょう。『学び合い』武闘派(ご本人はそう思われていませんが)の校長に会えることを楽しみにしています。そして、久しぶりの九州。
■ [大事なこと]根治療法
学校には様々な問題があります。その解決策はどんなものがあるでしょうか?
「この教材を使えばみんなが授業に集中する」とか、「この一言を言えば手のかかる子を押さえることが出来る」というような即効性がある解決策があります。人は弱いもの。何かあればすぐに解決したがるものです。でも、すぐに解決できるものは、すぐに元に戻ってします。だから、あとからあとから、それらをやり続けなければならない。例えば、面白教材を繰り返さねばならず、手のかかる子につきっきりになっていなければならない。
しかし、書店に並ぶ本の九割九分がそうです。
だから、『学び合い』のように根治療法をしなければならない。その子、その事の問題ととらえず、集団の問題としてとらえる。そして、それを解決するには教師の腹を定めなければならない。即効性は劣ります。少なくとも2週間はかかります。初心者の方は3ヶ月かかるでしょう。でも、安定した結果を出すことが出来ます。
が、それすらも安定ではないと言えます。なぜなら、『学び合い』のセオリーは安心できますが、それを実践している「人」は弱いものだからです。上手くいけば、手を抜いてしまいます。何か問題があれば、即効性のある解決策に頼りたくなる。
これを乗り越えるには、その子、その事の問題ととらえずに、かつ、自分の問題ととらえる「のでもなく」、自分たちの問題としてとらえるのです。そのためには教師集団が『学び合い』の集団にならなければならない。一人が悩んでも、他の教員が岡目八目でアドバイスをすることが出来る。みんなで背負うことが出来る。これを構築することがカリキュラム・マネジメントの本体だと思っています。
このカリキュラム・マネジメントを勧めるためには、体感的に理解している『学び合い』を理論的に理解しなければなりません。「いきなり話し合わせるのではなく、まず考えさせてから」、「机をコの字にすべき」、「グループを決めなければならない」という典型的な意見に対して、どのように応えるべきなのかを理解しなければなりません。それがなければ、自らの実践が危ういのです。
前者のために
・『全校『学び合い』で実現するカリキュラム・マネジメント』(http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-128316-2)
・『子どもを軸にしたカリキュラム・マネジメント』(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20170106)
・『学び合い』で始めるカリキュラム・マネジメント
後者のために
『『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編』(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160564)
・『『学び合い』の手引き アクティブな授業づくり改革編』(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160564)
・『汎用的能力をつけるアクティブ・ラーニング入門』(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160759)
を用意しました。
これを理解できる中級者を求めています。自分がよければいい、ではダメなのは、子どもも教師も同じです。『学び合い』の実践で集団をリードする子に対して自らが述べているように、「みんな」を考えることが自分の得です。