■ [大事なこと]分離
西川ゼミは上越教育大学で最もゼミ生の多い研究室です。同時に、「私のようになりたい」と思うゼミ生がいない研究室です。これは説明がいると思います。
例えば、物理学を物理の教師である田中さんに学んでいる人は、物理学を学びたいのであって、物理の教師になりたいとは限らないし、田中さんになりたいとは思っていないと思います。一方、何かの宗教に信心し、師匠についたとします。師匠自体がその宗教を体現しているものだと考えれば、師匠と一体化したいと思うでしょう。
つまり、教師の人と学びたいものが分離しているか、一体化しているかの違いです。
ゼミ生は『学び合い』を学びたいし、「一人も見捨てたくない」という願いに共感しているのです。それは私という人を離れて存在しうる理論であり、実践です。
もちろんゼミに入った当初は『学び合い』と私が一体化しているように思っている学生もいます。しかし、私の本性をもろだしし、同時に、『学び合い』のすごさを理解させれば分離します。だから、カップラーメンを食べながら私と『学び合い』の議論をするゼミ生が生まれます。
私は『学び合い』を一般的な宗教にはしたくありません。ただし、最も成功した宗教である数学のようにしたいとは思います。
追伸 「ドアの影に隠れてワッ、脅かすおっさん」、「女性がいないところでは、中学生レベルの下ネタを連発し、自分で受けているおっさん」になりたい兄ちゃん、姉ちゃんはいないですよね。