■ [大事なこと]妄想
本日は出張で、ホテルにいます。ということでじっくりと妄想できます。
私が上越教育大学のような地方大学で立て直しをしようとしたら、以下のようなことを考えます。
第一に、広域通信制大学を狙います。アメリカではそれで成功した事例があります。
第二に、保護者が教師である受験生を優遇します。(批判あるでしょうが)
第三に、その保護者が「あの先生の講義を我が子に聴かせて教師にしたい」と思うような現役教師、退職教師を広域通信制担当教師とします。
非常に言いにくいことをはっきり言いますが、何にも知らない受験生は、大学の教育の内容の質を吟味して志望校を選びません。偏差値と自宅との距離で選びます。だから、教育の内容で吟味できる人と繋がっている受験生を優先するのです。
さらに、広域通信制高校を併設します。そこでは教師向けの授業を高校生に配信します。簡単です。大学生向けのコンテンツを高校生に公開し、履修した単位を大学でも利用できるようにするのです。さらに連携する学校現場を開拓し、長期のインターンシップを実現するのです。
■ [大事なこと]大学の個別最適化
個別最適化の本当の意味を書いた本(https://amzn.to/34IY1G8)幸いにも好評です。ありがとうございます。私としては、工業化社会人の個別最適化に疑問を持ち、それを伝えたかったのです。所詮、工業化社会人の考える個別最適化の主語は子どもではなく、学校であり、教師なのです。
しかし、あまりにもラディカルなので書かなかったのですが、学校はもっと個別最適化をすべきだと思います。それが子どもの個別最適化を促します。
みなさん、以下をどう思いますか?
いかがですか?おそらく、多くの人にとって、それが差別であり、公平でないと思うでしょう。安心してください。日本の大学入試ではあり得ないし、あったら指弾されます。が、アメリカの大学では当然なのです。特に、アイビーリーグのようなトップ大学ではごく普通に行われているのです。
1に関してはレジェンド枠と言われます。その大学に対して、家族レベルでひとかたならない思い入れがあると思う人を優先的に入学させます。寄付が大学の大きな収益である大学としては当然です。寄付が多いから入学させるのではなく、大学に寄付するような家族の師弟を入学させるのは、大学にとって財政的のみならず、その他諸々の側面でありがたいのです。みなさん、出身大学に寄付したことありますか?それが日本の大学と卒業生との関係なのです。
2は国際的な人的関係能力育成するために、一定の海外の人材を入れることは自国学生にとって有益だし、海外の人脈を持つことは大学にとって有益なのです。日本だと太平洋立命館大学がそれに近いことを狙っています。
つまり、各大学のアドミッションポリシーは、その大学の利益を優先して決められることなのです。ところが、これが日本の大学ではあり得ない。もし、各大学が生き残りをかけて、さまざまなアドミッションポリシーを掲げたら、とくに、弱小大学がニッチ市場を開拓するアドミッションポリシーを掲げたら。当然、子どもたちは個別最適化する様々な道を探せます。
さて、どう思われますか?私はこのレベルで最適化を考えています。
だから、「公平」の罠に捕らわれて、出口のない説明を繰り返すしかない行政をかわいそうに思います。クリステンセンの言うように巨大組織はそれ以外の道がないのです。