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人だけが出来ること

 今から約四十年前に経済・産業界の要望に関する調査をしました(西川他 1985)。大学院在学中に書き上げた論文です。教材開発全盛の教科教育の論文としてはかなり異質な研究です。そのころからの私のテーマは何故学校教育が必要なのか?なのですから、当然とも言えます。

 方法は、経団連や東京商工会議所などの経済・産業団体の教育の要望を抽出し、分析しました。その結果、昭和20年代、30年代には理科教育振興を求める要望が多く、要望数と理科教育に対する予算も比例していました。ところが40年代以降になると風向きが変わります。理科教育に対する要望が激減して、基礎的学力に対する要望が多くなります。理科関係の要望としては、理学部・工学部の予算の充実は求められるのですが、小中の理科振興は殆ICTを学ばせます。工業化社会のコードに縛られています。

 AI・ロボットが発達するとき、会社の中間管理職は駆逐されます。これは、どの職業でも同じでしょう。一流の人は生き残りますが、それ以外はAI・ロボットに駆逐されます。のこされるのはAI・ロボットより安価に実現する非正規雇用者なのです。

 どうすればいいか?

 一人一人が個別最適化した学び、具体的には学習指導要領に縛られない学びによって、自分の武器を磨くべきです。

 が、あいかわらずナイーブな議論によって、昔ながらの結論に至ります。理系の知識なんて、最もAIに乗っ取られやすいのに。理学部・工学部の出身者の圧倒的大多数の人はイノベーションを生み出せる人ではありません。昔はそれでも生き残れた。例えば、遠心分離機が得意と言うだけでも一生涯生き残れた。でも、いまは違います。

 以下のニュースを見て、ため息が出ます。

https://www.asahi.com/articles/DA3S15359330.html?fbclid=IwAR2RkvzaoLD2FUS8fmL00BfHf043v70L2pGn2vOdFTDs7urXKSx_sswP3Xg

 

西川純、小林学(1985.10):戦後の経済・産業界の教育に関する要望・意見の変遷、科学教育研究、9、日本科学教育学会、100-106

 

追伸 求められる理科人はノーベル賞を取れる人です。そして、構造計算に長けた人ではなく自然の美しさを理科の考えで文系の人に語れる人です。偏微分方程式を解ける人ではなく、数の美しさを文系の人に語れる人です。新たな美しさを創造できるのは、未解決のフェルマーの問題を解決すると同じく、人しか出来ません。