歴史においてifは禁じ手です。でも、書きたい。
私は上越教育大学の理科コースに採用されました。物理、化学、生物学、地学の先生と同僚となりました。それから「イジメ」られました。ようは、数百年の歴史のある学問の論理と実績を、人文系から変わってから数十年の学問を評価したのです。そして、ルールにない新ルールを作り上げ、私を潰しにしました。
尊敬しいた教科専門の人に、相談しました。その方は、理屈は分かるが理科コースでは成り立たない。それを成り立たせたければ、理科コースを出るしかないと言われました。
その方は、それで収まると思ったと思いますが、理科コース外の新コースを立ち上げました。そした、その後、理科コースは希望者は激減しました。
その次のコースも、学術論文に拘ったため、私は出ました。その後、衰退しました。
もし、理科コースの先生方が、自分たちと違う理科教育学を認めてくれたら。
そうだったら、今の自分と違う人生があっただろう。
それがよかったか、どうか?