ゼミ生は私に対して森羅万象天地間のありとあらゆることを質問します。それに対して、間髪入れずに応えます。私に3秒考えさせたとしても、その99%の質問の応えは分かっているけど分かるかな?と諮詢しているときです。私に本当に考えさせる質問は皆無ですといいとですが、ま、記憶にありません。
このことのすごさは、オンラインゼミの人や、オフラインのゼミの人の現職は分かります。とにかく、何でも文献を引用しつつ、学術的根拠に基づき応えるのですから。オフラインの学生は、「西川先生はそういうこと出来る人だ」と軽く思っています。
小学校高学年、本格的には中学校ぐらいから乱読しました。仏典に関しては現代語訳されている本は読みあさりました。高校ぐらいになると神保町に行き、日本の各宗教の始祖の書いた本を読みました。キリスト教に関しては、旧約聖書・新約聖書はもちろんのこと、外典やはては悪魔学の本も読みました。イスラムに関しては、コラーンは読みました。
分かりもしない哲学書を読みました。岩波文庫になるレベルの古典は読めば賢くなると思って、読みました。あ、殆どは分かりません。その他、ありとあらゆる本を読みました。
クラシックにはまり、フルトベングラーの英雄交響曲を聞けば、何年の録音かが分かるレベルになりました。ベーム、クララハスキル、リパティ、クナパーシュブッシュ・・・等にはまりました。そして、ゼミ生は知っている、あれにはまりました。
冷静に考えれば、異常です。おそらく、あの当時の私の睡眠時間が5時間程度でしょう。頭の中は、次に何をやるかを考えて、一分一秒も無駄の内容に追い立てられていたと思います。ただし、そこには勉強はありません。それは高校2年の冬から受験までの1年間だけです。
大学入学後も上記が続きます。大学院に入学してから論文作成マシーンになましたが、その方向での乱読は続きます。
もし、森羅万象天地間に、即応できる私にビックリできるレベルの方に申します。私のレベルになりたいとしたら、問答を続けましょう。9割の質問に対しては、足を知ること、あとは『学び合い』のセオリーで対応します。1割の9割は、面白い授業、分かりやすい授業の先にあるものが見えれば見えてきます。
では、1割の1割は。それは私と問答しましょう。だって、それを理解するには、私の過ごした膨大な無駄な時間が必要です。そして、現職者は、それを実現することは不可能です。
今日のオンラインゼミでは、私にとっては0.1秒も迷わない質問を真剣に聞く、40代以上(一人だけ20代前半)のゼミ生を見ながら、笑いながら、可愛いな、と思います。