我が子は地域のトップ高校に入学しました。
地域の中学校の成績上位者が入学します。おそらく、小学校、中学校とも頭のいい子と輪割りから認められた子です。その子も、それが当然だと思っています。ところがです、高校に入って、校内順位を知れば愕然とするでしょう。その子どものアイデンティティが成績上位だったとしたら。
その学校に入りました。そして、各学期、各学年に、学習を放棄している子どもが増えることを知ります。それを見るたびに、その子達は中学校ではエリートだったのに、と。
私のところには、日本全国の様々な教師からの訴えがきます。
ある学校では、全体の底上げをしようとしている教師に対して、東京大学を狙える子どもに注力せよという校長がいるそうです。そうなんでしょうね。都道府県教育委員会は、実績として東京大学何人かを競っています。年末の雑誌は東京大学入学者数でソーティングされています。そこには脱落する子どものデータはないのです。極論ですが例えば、300人の入学者の250人が脱落し、退学したとしても、5人の東大生を輩出すれば、名門校になるのです。だから、教師としての誇りを捨て、60歳から65歳の我が身を守ろうとする人は、そんなことをすることは自然です。
もの凄く失礼なことを申します。
世の多くの教師は、教えたことが分かれば良いと思っています。
でも、それに意味があるでしょうか?
それに応えられなったら、東京大学の合格者に注力している校長と五十歩百歩です。
我々教師の目指すべきは、面白い授業、分かりやすい授業ではなく、面白い授業・分かりやすい授業と矛盾ない、幸せになる授業なのです。そのためには幸せになるには何が必要かなのです。
と、殆どの人には分からないことを書きます。
どうぞ、ブロックして下さい。
私の意識と、タイムラインに流れる情報の乖離が苦痛です。
こんなこと、今まで書きませんが、退職近くなると我が儘になります。退職後の生活を形作りたい。
追伸 どんどん不快なことを書いて、世間を狭くしたい。その中で残るのが、私の多様で多数なネットワーク。