大学院に入学したときの理科教育学は、教育学部の流れから教育方法及び比較教育が全盛でした。その当時の学術論文を見ると、ドイツが、フランスがという比較教育の論文が多くを占めています。教育方法の研究の稚拙でした。ビックしましたが学会誌に掲載するレベルの論文であっても、数十人程度のデータを度数分布で分析していました。最も驚いたのは結果が0%、33.3%、66,7%、100%の結果が羅列しているのです。よく見たら、3人のデータだったのです。内容は特別支援です。だから、人数は少ない。だったら、%表記して定量的表現の装いをせずに、徹底的に質的表記をすれば良いのに、と思いました。
私が理科教育学に志を持ったのは、理学部的にも認められるレベルの定量的データ分析をすることです。おかげさまで、斬新なアプローチだったので業績を量産できました。
しかし、不満でした。だって、どれだけ論文を書いても、私が救えなかった子どもを救える端緒になるとは思えなかった。
その後、認知心理学の知見を基に多くの論文を書きました。当時の新進気鋭の若手と一緒に書きまくりました。学会の方向性が変わりました。やがて、教育学の残滓は消えました。
しかし、不満でした。私の研究によって1割の子どもの理解が深まるとは思いました。でも、私の願いは、最後の一人なのです。その子達が、どういう人生を歩むかを知ってしまった。
だから『学び合い』なのです。これを読む人は分かっているので、略します。
しかし、不満でした。毎日の授業が上手くいっても、子どもの人生は変わりません。一生涯の幸せのレベルを求めれば、できません。だから、この5年間以上は、私の発信は変わっています。
私の人生は、自分が一生懸命にしていることを否定することによって成り立っています。でも、これは正しいと思います。ドラッカーの言葉です。「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。」というドラッカーの言葉が好きです。
でもね。退職後はしません。だって、得じゃ無いから。後続が私を踏みつけにすれば良い。