あるゼミ生が、退職したらSNS等を全部断つかと心配そうに聞きました。
私は「SNSのカウントは閉鎖し、メールアドレスも廃止する」と言ったら、ビックリしていました。ま、私だったらやりかねないと思ったのでしょうね。しません。ネット上のやりとりは、続けます。しかし、物理的な接触は限定します。
私は日本で一番多くの人と関わった教育学研究者だと思っています。とにかく関わりました。その結果、嫌な思いも一番多い。失礼な人、不誠実な人と関わりました。やがて気づきました。不快になる人は、100%ボランティアで関わった人です。分かれば当たり前です。それなりのお金を投資する人は、お気楽な人はいません。
心意気でボランティアを続けた結果、不整脈になったので、世間との関わり方を変えました。簡単です。私の関わる人には「お金」を求めます。ただし、私のところに来る人には求めません。だって、私のところに来るためには「お金」と時間をかけているからです。
他人を関わって学んだことは、誠意ははかれないけど、お金は誠意を図れると言うことです。
退職後は嫌な気持ちになりたくない。だから、「お金」を払わない人とは関わりません。だから、関わるとしたら、オンラインゼミ生と、私の講演で読んだ人に限ります。
ゼミ生には以下のように言います。
私はゼミ生指導に関して一文もお金をもらっていない。むしろ飲み会等のご芳志で払っている。越後『学び合い』の会でも無料で講演している。それは、人生の中での2年、3年の時間を私に賭けてくれたから。でもね、卒業後・修了後は、それは無い。
ちなみに、最終授業や退職の会はやらないことをいいました。その会に私を参加させるならば、それなりの対価を求めます。それが払えないならば、その会における私の価値は、その程度なのですから。
この質問の前に、別なゼミ生から、『学び合い』を成立させるためには人柄が大事かと聞かれました。そのゼミ生は授業レベルのテクニックではなく人柄と聞いたのは、ゼミ生だからこそだと思います。しかし「人柄」という言葉の意味を正確に分かってほしいので語りました。
俺はマザーテレサになる必要は無い。俺の素は全部さらしている。私は生き方は自分にとって「得」という視点でぶれていない。その視点で、おまえらの全ての質問に対して即答している。『学び合い』は生き方だ。それも非常に効率の良い生き方だ。それをさらすことが「人柄」だよ。
この手のやりとりはオフラインは1年ちょっとで無くなりますね。不立文字なのです。
追伸 このやりとりを生で見ているゼミ生の振り返りに役に立つでしょう。私のやっていることは授業レベルでは意味不明です。