お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

もうそろそろ気づいて下さい

 前回の学習指導要領の言語活動の充実も、今回のアクティブ・ラーニングも、丁寧に調べれば、その源流は経済産業省や、経済団体連合会等の経済産業団体にあります。簡単に言えば、使える人を育てて欲しいということです。

 前回は学習指導要領によって変えようとしました。しかし、有名無実になりました。そこで、今回は学習指導要領と大学入試制度の合わせ技によって変えようとしました。しかし、有名無実になりました。

 もうそろそろ経済産業省や、経済団体連合会等の経済産業団体の方々は気づくべきです。教育村の多くの人達は、変えたくないのです。そもそも文部科学省が持っている権限は、教員免許状、教員の数(つまり予算)に限定されています。学習指導要領ですが、そもそも一般的な表現を超えられませんし、どんなに変えても教育内容・方法は学校長に任せられています。つまり、従来通りのトーク&チョークの授業しか知らず、それを続けたい教師が大多数である教育村は全てを無力化することが出来るのです。

 慌てて付け加えるのですが、従来成功したものを続けるということは、生物学的にも妥当な戦略です。人類の歴史の中で、圧倒的大部分においては妥当です。だから、多くの人はそういう行動をするようにプログラムされているのです。ただ、時代が変革するときには、従来成功したものを続けるという戦略は、群れとして緩慢な死に繋がります。

 じゃあどうするか?

 第一に、雇用を変えるのです。これが出来るのは、超人気企業でしょう。つまりどんなに変えても応募者がいる企業です。東京大学や京都大学の特色入試のように最初は少数で結構です。以下のようなものです。

  • 応募時期は4月以外。
  • 採用する人材を明確にして、資格や実務経験を明示する。従って、多種類の公募を数人レベルで実施するのです。
  • 基本的に任期付きとして、一定の条件を満たしたら任期延長を基本とする。
  • 学歴不問とする。つまり、条件を満たす場合は、大学3年の7月に採用される場合があります。その場合、大卒と同様の待遇を保証するのです。

 こうすれば、メガトンレベルの衝撃が大学にいきます。

 第二に、予算ですが、全国一律の配分はやめましょう。個人もしくは個人の集団(学校の場合もあるでしょう)の応募を基本とします。応募に際しては期待される成果を明示し、それを実現できない場合は、一定期間、応募できないようにするのです。おそらく、電子黒板のような状態になることが明かな一人一台のタブレットに費やす予算の十分の一で、百倍の効果が期待出来ます。

 進化は常に小集団の中で生まれ、育つのです。これは破壊的イノベーションも同じです。

 以上のことに、もうそろそろ、経済産業省や、経済団体連合会等の経済産業団体の方々は気づくべきだと思います。まあ、GIGAスクール構想が有名無実になれば、気づくだろうな。

パーキンソンの法則

 パーキンソンの法則をご存じでしょうか?イギリスの歴史学者が提唱した法則です。具体的には以下の通りです。

 

第1法則 公務員の仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する

第2法則 公費の支出の額は、収入の額に達するまで膨張する

 

 というものです。このようなことが起こるのかといえば、「役人はライバルではなく部下が増えることを望む」、「役人は相互に仕事を作りあう」が原因です。かなり普遍性のある法則です。

 今までの教育に関係する改革は、常に「予算を増やす」、「人員を増やす」というもので問題を解決していました。でしょ?これは公務員の生態に基づくものです。でも、無駄です。予算をいくら増やしても、その予算では足りなくなるほど予算が増えます。人員をいくら増やしても、その人員では足りなくなるほど仕事は増えます。そして、賢い公務員はもっともらしい理屈を構築します。これは教育の場合は通りやすい。だって、「子どものため」が葵の御紋の印籠なのですから。

 だから、「予算を増やす」、「人員を増やす」という対策に全く共感できません。では、どうすべきか、削るのです。やめるのです。

 ビルド&クラッシュというのは不正確で、クラッシュ&ビルドなのです。それが出来ない改革は、もっと「予算を増やす」、「人員を増やす」という方向に進みます。ま、無限に続きませんから、潰れます。そして、予算が無いから、人員が無いから、という自己憐憫に陥るのです。

追申 過去の私の書いたことを思い出してください。「予算を増やす」、「人員を増やす」はなかったと思いますよ。削ること自体が新たな価値を生み出す提案をしています。『学び合い』なんて、その最たるものですよね。今の教員が後生大事にしている、発問、板書、教材研究を削ることによって、子どもの主体的・対話的な学びを生み出したのですから。ま、その他の私の本も、基本、削るを基本としています。破壊的イノベーション、ブルーオーシャン戦略と同じです。

頼もしい

 本日、以下のようなメールが来ました。

 「こんにちは!突然すみません。私は現在高校3年で現状の集団教育に疑問を抱き、そもそもの社会形態を「個」を尊重する社会にしたいと考えています。そこで学校の先生にこの旨を伝えると、西川さんの『個別最適化の教育』という本を薦められました。第1章を読んでみると、すさまじい「ワクワク感」に駆られました。それぞれが個に適した学びを受けられる。考えただけでワクワクしました。そこで私は、社会の根底となる教育をこのように改革する事で集団主義の社会形態も変えられるのではないかと思いました。しかし、最近たくさんの方が着手している通信制学校の創設の波に乗るのはあまりに無思考的であり、非効率的だと考えました。キャズム理論を考慮すると、通信制学校は台頭してくるのかも知れません。しかし、私がそのほんの一部分を担っただけで私自身が教育にイノベーションを起こすことは出来ないと思いました。私はもっと全国的に影響力のある改革を推進したいと思いました。そこで、「個人のAIコンサルタントソフトウェア」をつくり、生徒自身の5教科以外の本当に学びたい、学ぶべきことや、何をどのように学べば良いのかをコンサルしてもらえるシステムを全国の学校に導入すればいいと考えました。自分の学校の創設と個人のAIコンサルの全国的導入、西川さんはどちらがより効果的だとお考えですか?突然の質問申し訳ないですが、答えてもらえると嬉しいです。」

 早速、テレビ電話で1時間ほど話しました。爽やかな気持ちです。

未来社会

 みなさま私の中にある未来社会です。どこまでついて行けるか試して下さい。まあ、地方大学の一教師の妄想とお笑い下さい。

 

  • 人口、特に若年層が減少する。地方の市町村は、「人が中規模以上の都市に移動し消滅」か、「ネットを活用した働き方をする人を中核として生き残る」のいずれかになると思います。私は後者がやがて拡大すると思っています。そのためには小規模発電の発達、ドローンを中心とした物流の発達が鍵だと思っています。
  • 価値観が多様化して、みんなと同じことをすることが格好良くないと思うようになります。最初のきっかけは、みんなが求めているものを求めていると金がかかりまる。そのようなお金をかけられないし、もしくは、お金を稼ごうとすると自分が大事にしている生活を捨てることになることが気づき始めるのが最初です。
    例えば、サッカーファンはサッカー場に行かねばならず、そのためには時間とお金をかけねばなりません。ネットの発達によってメジャーでないスポーツも商業的になりたつようになります。他の選択肢を与えられた人が、メジャーなスポーツのファンになり続けることのトレイドオフを考えるのです。それを合理化するために、みんなと同じことをすることが格好良くないというものを選択し、やがて内在化するのです。まあ、私の時代における巨人ファンに対して、「巨人、大鵬、卵焼き」と揶揄したのと同じ理屈です。

 

 以上は私が既に経験したことです。東京生まれの東京育ちの私は、東京に住み生活するのが一番だと思っていました。しかし、今では東京に住む人の気持ちが理解出来ません(すみません)。雪は困りますが、それ以外は上越は非常に住みやすい町です。おかげさまで2万数千円で、40坪弱の宿舎に住み、ドアtoドアが最大15分の通勤時間の生活をしています。

 若い頃は、研究者としては大きくて著名な大学で研究するのがいいと思っていました。しかし、今では自分にあった大学で、自分に合ったペースで学生さん達と教育・研究をすすめていられることを幸せだと思っています。都会の大大学の先生方は、各種委員会にかり出されている。頭が下がります。とても、私には出来ないな、と思っています。幸い、私の能力を上回る教師人生、研究者人生を過ごしています。

 だから、やがて気づく人が増えることに確信があります。障害となっているのが、通勤・通学の問題ですが、現在、ネットによって解消できます。そして、今回のコロナでそれを知った人が激増したのです。

 

 ということを前提として部活を考えてみましょう。

 以上の様な社会において、各中学校、高校で安定して9人以上を確保できる野球部、11人以上を確保できるサッカー部がどれほどあるでしょうか?東洋大学の根本教授の試算によれば、今後、大都市でも小中学校の数は半分になり、島根や和歌山県などの地方では10分の1になります。つまり、通学が不可能になるのです。

 個別最適化を求める子ども・保護者のニーズと相まって、広域通信制に移行する流れが強くなる。先に述べた根本教授のシミュレーションはこの効果を考慮していないのですから、学校の数の減少はもっと凄いものになります。

 部活大好きの教師、子どもは学校で全て管理するものと思い込んでいる保護者は、部活の社会体育への移行に抵抗するでしょう。しかし、教員志望者の激減を受けて、行政も社会体育以降へ舵を切りました。ただし、落としどころは月曜日から金曜日は部活で、土日は社会体育というものでしょう。多くの人はそれが最終形だと思っているかもしれません。しかし違います。

 私の予想するものだとしたら、そもそも学校単位での部活は成り立ちません。部活大好きの教師、子どもは学校で全て管理するものと思い込んでいる保護者がどう思うかに関係なく、人数を確保できなくなるのですから。そうなった先の未来は3つあります。

 第一に、学校と無関係な社会体育です。つまり、働いている成人が土日に集まってスポーツしている集団に、中学生や高校生が参加するのです。学校と調整しなくていいのですから、社会体育も気が楽です。

 第二に、ネットを介したVRのスポーツです。おそらく、全国レベルの大会としてなりたつのはこれぐらいかもしれないと思っています。

 第三に、特定のスポーツに特化した学校が生まれる。ただし、現在の甲子園の有名校のポジションではありません。野球、サッカーに人気が集中している時代ではないので、サッカーリーグが生まれる前の静岡の高校のレベルで、知る人ぞ知るというものでしょう。

 付け加えますが、そのようなチームが多種多様なスポーツで生まれるのです。

 

 という社会において中体連、高体連、は何をするのでしょうか?

 つまり、最終的には教科としての体育以外は、学校教育から分離します。更に言えば、個別最適化が進めば、体育を学ばなくていい学校教育が生まれます。

 

追伸 たかし、けんちゃんへ。これが君たちに話したことを整理したものです。