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2002-06-18

[]研究テーマ 09:49 研究テーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究テーマ - 西川純のメモ 研究テーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この頃になると、大学院入学希望者から、問い合わせのメールが来ます。「突然のメールをお許しください」等の恐縮したメールを受けますが、読むとかえって私が恐縮してしまいます。こんなおっさんにメールするのに、こんなに気を遣って頂いてわるいな~と恐縮します。ホームページにも書きましたように、「お気軽に」でお願いします。

 そのようなメールの中で、「自分の専門は理科以外なのですが、よろしいでしょうか?」という質問がありました。私の経歴からして、ごく当然のご質問です。過去にも受けましたし、今後もそのようなご質問を受ける可能性があるので、メモりました。結論を最初に言えば、我々の研究室は「教科を学ぶ子どもを見る」ということを大事にしています。しかし、どの教科であるかということには拘りはありません。子どもにとって理科だろうが、国語だろうが、算数であろうが、それほどの違いがあるわけはありません。なんとなれば、学校教育ではそれらの教科学習を中心とした様々な学びを通して、「人格の完成」を目指しています。少なくとも私はそう思っています。

 一昨年度より理科コースから学習臨床コースに異動しました。理科コースに所属しているときは、当然、院生さんは理科先生ばかりです。また、テーマも「理科」であらねばなりません。さらに、理科コースの生物地学分野に所属していますので、テーマ生物地学的内容であることを求められていました。しかし、他ならない所属院生さんご自身が、そのことを足枷のように感じていました。我々の研究室では理科コースに所属している時代から「教科を学ぶ子どもを見る」研究を続けていました。理科院生さんが研究するのですから、理科が中心になることは当然です。しかし、子どもを見続けていると、理科だけでは収まりがつかなくなります。理科以外の教科を見たくなります。結果として、理科以外の教科の方が、興味深い子どもの姿が表出するいうこともよくあります。しかし、理科コース所属だからという理由で、泣く泣く、それを表に出すことを断念したことは一度や二度ではありません。学習臨床においては、そのような足枷はありませんので、子どもを中心として自由に研究を進めることが出来ます。

 学習臨床コースに移動した、我々の研究室メンバーは実に多様です。たとえば、修士2年のお一方は社会のご専門ですが、情報教育における学び合い研究としています。残りの4人の方は理科を専門とされていますが、そのうちのお二方は総合学習研究の対象に含んでおります。また、お一方はジェンダー研究ですので、理科のみならず、家庭科国語も対象としています。最後のお一方は、理科の授業を分析の対象としていますが、研究目的は活発なクラス全体の話し合いを目的としています。

 修士1年だともっとはっきりします。4人のうちお一方は、社会科出身で教師の授業観と教科の姿を、多様な教科で見ようとしています。お一方は、ご本人は専門は無国籍とおっしゃている方ですが、グループ編成に関して研究をしようとされています。また、お一方は、高校国語先生で、作文指導と学び合い関係研究しようとされています。経歴においてはっきりと理科と分類される方もお一人いらっしゃいますが、テーマは「 グループ学習学習達成度と効率」で、理科目的としておりません。

 ちなみに学部学生メンバーはさらに極端です。私のコース異動の関係で4年生は所属していませんが、3年に4人の学生さんが所属しています。理科専門の学生さんはお一方もおられません。お一人は、国語給食の時の話し合いと教科の時の話し合いを研究しようとしています。また、別の国語学生さんは、地域と学校における異学年の学び合い研究しています。また、社会学生さんは、様々な視点(教師、被害者加害者、その他)から見えるいじめの見え方の違いを研究しようとしています。最後の学生さんは音楽で、なぜ、音楽が好きになるかを研究しようとしています。

 私は理科が好きです。私は理科を通して実に多くのことを学びました。しかし、「理科でなければ学べない」なんては思いません。ただし、教科学習は大事だと思います。たとえば、いじめが起こった場合、ホームルームや個別指導で対応することが多いように思います。しかし、私はまず毎日の教科学習で「いじめ」に対応しなければならないと思います。なぜなら、学校教育の殆どの時間は教科学習が占めており、子どもたちは教師の本音をその時間を通して知ります。ホームルームでいくら愛や友情を語っても、平常の授業でそれに反する行動を教師がすれば、子どもたちは見抜きます。実際、毎日の教科学習の姿にいじめ原因があるというデータを我々は出しています。また、それらは教科学習の姿を変えることによって、速やかにいじめ原因消失するというデータを我々は出しています。私は理科が好きです。しかし、国語が好きな方は、自分の好きな国語を通して教えればいいし、体育の好きな方は、自分の好きな体育を通して教えればよい。そう思っています。