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2002-06-17

[]研究をまとめる 09:51 研究をまとめる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究をまとめる - 西川純のメモ 研究をまとめる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 セクハラ統計を見ますと、近年増加傾向です。なんで増加したのか、その理由を考えても思いつきません。実はセクハラ的行為の頻度は増加していないのですが、我々の意識が変わった結果統計に表れたのだと思います。「セクハラ」という言葉が現れるまで、セクハラ存在していませんでした。もちろんセクハラ的行為は従前よりありましたが、それをあてはめる言葉がないのであまり記憶にも意識にも上りません。たとえば、エスキモーには数十種類の「雪」の表現があります。私なんぞは「ぼた雪」、「粉雪」程度です。そのような私には、エスキモーの人たちが持つ、様々な雪のイメージを持つことも、ましてや記憶することも出来ません。また、こんなことも経験します。息子から絵本の車を指されて質問されると、「赤い車だよ」、「黄色い車だよ」と教えます。ところが、世の車の中には、なんとも言い難い色の車があります。たとえば、「緑と青の中間」と言わざるを得ない色があります。さらに、「緑と青の中間」にも色々の色があり、それぞれが全く異なる毛色の色なんです。そうなると、面倒くさいので、そのときの気分で「緑の車だよ」とか「青の車だよ」と言ってしまいます。我々は現象があって、それに対応する言葉が生まれると考えがちです。しかし、新たな言葉をつくることによって、新たな現象が現れます。極論すれば、その言葉がなければ、その現象は無かったと考えるべきだと思います。

 院生さんが研究をまとめる際に、悩まれます。自分が見たもの、発見したものはとても大事で、膨大であることに圧倒されます。そうすると、どんな切り口でまとめようとしても、何か矮小なものにしてしまったのでは、という不安に襲われます。そうでありながら、自分の見たもの、発見したものを、いかんなく表現するすべが見あたらず、右往左往します。でも、最初に考えてください。「自分が見たもの、発見したもの」が本当にあるのでしょうか?実は、言葉にまとめられる前は、何もありません。言葉にまとめ上げられたとき、はじめてそれが現れます。そうであれば、まず、言葉にすることです。言葉にまとめ上げるとは、自分が見たもの、発見したものを、その瞬間に作り上げる作業なんです。

 書き上げると、確かに全てではないが、自分の見たもの、発見したものの大部分が、そこに含まれることに気づきます。だって、あたりまえです。書く前には「自分が見たもの、発見したもの」何もなかったんですから。

[]我々の研究で書くこと 09:51 我々の研究で書くこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 我々の研究で書くこと - 西川純のメモ 我々の研究で書くこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の研究室での目的は何か?それは、「学習者は有能である」という子ども観、また、それの必然として現れる「教師の仕事は教えること以上に、目標を与え学習者の目標とさせること。さらに、学習者が学びやすい場(もしくは環境)を整えること」という授業観を、より多くの人たちに共感してもらうことです。そのためのデータ論文・本を通して情報発信をしています。

 したがって、我々の研究では以下のようなことが書かれています(また書かなければなりません。)

1.現状の問題点

 「学習者は無能である」という子ども観、また、そうまでいかなくても子どもの能力を信じ切れない子ども観が、世に多いのは、それがもたらせいる問題点が見えにくいためです。そのような問題点は、教卓から子どもをみているだけでは数十年たっても見つけることが出来ません。だからこそ、我々は複数台のビデオと10~40台のカセットテープレコーダーを使い、数ヶ月にわたる子どもたちの観察を行います。

2.新たな子ども観、授業観にもとづく実践

 我々は、できるだけ教師がしゃしゃりでないようにします。それを、普通の書き方で書くと、「な~んにもしない」ということになります。それを読んだ人は、「そんなバカな」で一笑に付されます。しかし、我々は何もしないわけではありません。最低限のことはしています。そのことをちゃんと書く必要があります。さらに、我々は普通の教師が一生懸命やる「教える」ということは小さいものの、普通の教師があまりしない「目標を与え学習者の目標とさせること。さらに、学習者が学びやすい場(もしくは環境)を整えること」に時間と手間をかけます。したがって、目標を決めるために、「どのような条件を勘案したか」、「子どもたちとどのように契約を結ぶか」、「子どもたちの行動をどのように評価したか」、「同僚教師、親とどのように契約を結ぶか」等々をやらねばなりません。そのことを十分に書かなければ、「な~んもしない」という風に受け取られます。

3.子どもたちの変容

 「学習者は無能である」という子ども観は、他ならない子ども自体も持たされています。しかし、子どもは速やかに自身の有能性に気づき、変容します(教師の変容に比べて圧倒的に早く、簡単です)。その様子を数ヶ月にわたっておいます。結果として、数週間で子どもたちは変容し、「現状の問題点」が収束することを示します。その後は、教師自身も思いつかないような、様々なすばらしい学びを子どもたちが自ら作り上げる様子を記述します。

4.種明かし

 これは上記のことが十全に書けば、必要ないかもしれませんが、必要となる場合もあります。我々の実践を、「子どもは無能だ」という前提で解釈しようとすると、「そんなバカな話はない」ということになります。しかし、教師自身も多くは経験している学習者の行動を整理し、自らに置き換えることによって、「ごくごく当然の結果であり、むしろ従前の方がおかしい」ということを書きます。

 なお、方法論についてもいくつか注意があります。我々の方法論の特徴は、現職教師が大学院に2年間フルに派遣されたときに、はじめて出来る方法論である点です。私のような「学者」が出来るような研究方法論では、学者に勝てるわけがありません。また、現場でも十分出来たり、1年間派遣で出来るようなものでは、本学(上越教育大学)に派遣された意味がありません。また、我々は質的研究と量的研究を併用する方法をとっています。具体的には、典型的な行動パターンの分類を設けます。各分類を詳細に記述します。さらに、クラス全体をその分類に基づき分類します。その結果を時系列分析や統計分析によって、結果の一般性を担保します。

[]間合い-結婚 09:51 間合い-結婚 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 間合い-結婚 - 西川純のメモ 間合い-結婚 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 若い頃の私は、教育実習学生さんと同様に、子どもとの間合いを詰めよう詰めようと努力していました。学習者と一緒にいる時間が長ければ長いほど、良いと考えていました。結果として、大失敗をしたとしても、それは間合いが近すぎたためであるとは考えられませんでした。結果として、間合いは近いままで、結果として、また失敗を繰り返します。そんな私の転機は、結婚です。結婚し、家庭を持てば、時間的・経済的な制約が生じます。自ずと間合いは長くなります。結婚当初は、間合いが長くなるため、学生さんとの心理的距離が長くなり、結果として指導がうまくいかないのではと心配しました。しかし、そんなことはありませんでした。逆に、学生さんの間での「西川研」の人気は、相対的にあがったように感じます。

 今にして思えば、間合いを詰めすぎたときの失敗、また、距離をおいたときの成功の経験が、今の研究の方向性のベースになっているように思います。