■ [ゼミ]異なる視点
この前の金曜日の全体ゼミに、家庭科コースの院生さんが参加して頂きました。また、昨日の発表練習会には、多くの他研究室の院生さんが参加して頂きました。さらに、OBも参加していただけました。そのような方々の質問・意見を聞くと、とても勉強になります。どうしても、いつものメンバーだけでは視点が限られてしまいます。新鮮な視点からの質問・意見を聞くと、本当に普段の授業場面は宝の山だと思います。我々は、だれよりもそのことを分かっていると思っていましたが、その我々も、多くの宝を見逃していたことを自覚することが出来ました。参加して頂いた方々に御礼申し上げます。
■ [大事なこと]目標を語ること
我々は教師は目標を語るべきで、方法を語ることは控えるべきだと主張しています。例えば、ある学校では、給食の時間、静かに食べることを学級(むしろ学校)のルールにしているそうです。でも、小学生がしーんとして食べている給食の時間って、不気味だと思いません?何故、そんなことをしているかといえば、給食の時間内に食べ終わらない子どもが続出したためだそうです。そのため、教師が「しゃべるな」というルールを設定したとのことでした。でも、この事例の場合、本当の目標は「給食を時間内に食べ終わる」ということで、「静かに食べる」というのは方法の一つに過ぎません。我々は、「給食を時間内に食べ終わる」ということを子どもたちに語り、納得させることが教師の役目で、どうやるかは子どもたちが考えるべきだと主張しています。
OBのMさんが、昨日の打ち上げ会のとき、そのことを話してくれました。Mさんは、実際に、そのことを実践したそうです。そうすると、子どもたちからは「しーんと食べる」なんていう下策を遙かに超える様々な方法を提案してくれたそうです。その方法は、愚かな教師にはとっても思いつかない方法でした。それを聞いて、またまた、ウルウルしてしまいました。子どもは、本当に有能だな~と思いました。
そういっている私自身、目標ではなく方法を語ってしまうこと場合は少なくありません。原因は、相手の有能性をとても信じられないからです。でも、冷静に考えれば、教師がやいのやいの方法を語っても、うまくいくわけではありません。いつのまにか、方法が目標にすり替わってしまいます。たとえば、とにかく「静かに食べる」ことが目標になり、結果として静かに食べているが給食の時間内に食べ終わらない、ということもありえます。仮に教師が、「給食の時間内に食べ終わらない」ということを問題にしても、子どもの方は、「私たちはちゃんと静かに食べた!」と反論するでしょう。つまり、「静かに食べよう」という方法を提示した教師の責任を問われることになります。
方法を語る教師の心の中には、何とかせねば、という焦りがあります。でも、教師ごときがどんなに頑張っても、学習者がその気にならなければ、しょうがありません。そして、例えば小学生であっても(ましてや学生・院生の場合)、最終的な責任は教師ではなく自分が負わなければならないのですから。
追伸 発表会、飲み会は盛況でしたよ。さっき聞いたところによれば、朝の2時まで続いたのことでした。Mさん、Koさんが参加して頂いたので、一層パワーアップです。Mさん、Koさんとなれば、Yさんが加われば、史上最強トリオが成立します。さらに、だれからも突っ込めて、最終的には「Ko~」とつっこむHさんもいたらな~と思いました。そこに、酔っぱらうと一層面白いKuさん、それらを冷静に見ているHさん、何でも知っているFさん・・・・・・・っと書いていると、あっというまに去年の飲み会になってしまいます。また、やるから、みんな来てね~