■ [自慢]なぜ仕事が速いか
昨日のメモに、原稿用紙20頁のレジュメを1時間で書き上げたと書きました。そうなると、原稿1ページ当たり3分です。そうなると、1秒当たり2文字ほど打ち込むことになります。実際は、1時間の中に院生さんの文章チェックの時間も含まれていますので、1秒当たり3~4文字となります。打ち込みだけでも、大変な早さです。なぜ、そんなに早く仕事が出来るかと言えば秘訣があります。
修士論文を書いたときに気づきました。論文のある部分の書くアイディアが浮かび、簡単に書けそうに思えるときがあります。そうなると、それはいつでも書けるから、と思って後回しにしました。ところが、後になって、それを書こうとしようとすると、大変である場合が少なくありません。そこで、書けると思った時に、とにかく書くという習慣を付けました。もちろん、いつも、書けると思ったことが、書けるわけではありません。頭の中では簡単に書けると思うのですが、いざ、書き始めるとまとまらないことは少なくありません。その場合は、直ぐに諦めます。しかし、頭の中で簡単に書けると思い、確かに簡単に書けることもあります。その場合は、とにかく書くようにしました。そうやって書きためた論文の種は、全て実際に使ったわけではありません。実際には使わなかった種は少なくありません。でも、全体としては、とても役に立ちました。
いまでも、その習慣を続けています。何かアイディアがあると、時間があるときに、それを打ち込むことをしています。このメモもその一つです。そして、院生さん、学生さんから聞いた面白いエピソードは、そのファイルを送ってもらったり、聞き取ったものを打ち込むことを行っています。そのようなファイルが、私のコンピュータの中には膨大にあります。
私の院生時代だったら、そのアイディアはカードにして、整理しなければなりません。ところが、今のコンピュータの場合、「全文検索」という機能があります。何かの原稿を書かねばならなくなったとき、それに関連したアイディアメモを思い出します。そして、そのアイディアメモの中で使われる特有のキーワードを用いて、コンピュータ内に保存されている数ギガのファイルの中から探し出します。そのようなアイディアメモを数編見付けて、それをカットアンドペーストすることによって、あっというまに原稿が書けてしまいます。このメモに使った文章も、「です/ます」調を「である」調に直し、別な原稿に使ったことは、たくさんあります。
私は、「仕事が速い」とよく言われます。その秘訣は上記の通りです。つまり、常に考え、それを記録し、準備しているから速いんです。
■ [自慢]かってな想像
私には自慢があります。それは、自分の進路に関して、色々と悩みますが、最終的に決定した進路は必ずかなっています。高校入試、大学入試、大学院入試、教員採用試験、その全てにおいて願書は一つしか貰っていません。そして、全て合格しました。上越教育大学も一発で採用されました。しかし、ただ1回の例外があります。
助手時代、関西のある大学の助教授公募に応募しました。しかし、別な方が採用されました(つまり、わたしは落とされました)。私の代わりに採用された方は、その後、質的研究を理科教育に導入し、我が国の理科教育において質的研究を確立した一人です。ところが、現在はコンピュータに関わる研究を精力的になさっている、学会のホープです。今日の朝、ふと、「私が○大学に採用され、○さんが上越教育大学に採用されたら・・」と勝手な想像をしました。遠い昔の話ですが、私が上越教育大学に採用された決め手になった能力はコンピュータに関するハード・ソフトに関する能力です。おそらく、私が○大学に採用されたら、○さんと同じようにコンピュータに関する研究を行っていたと思います。逆に、○さん上越教育大学に赴任したら、どうなっていたでしょう。質的研究の大事さに気づかれた○さんのことです。遅かれ速かれ、現職院生の方と一緒になって研究する強みに気づかれると思います。そして、中・長期にわたる臨床研究にシフトするであろうことは予想されます。・・と、考えると、今の私は、私というものは関係なく、場が作り上げたものである、ということになります。確かそうかもしれません。でも、ちょっと悔しい気持ちがします。そこで、もうちょっと考えてみました。
私が大学院の時代から10年間手がけた研究はアンケート調査による量的研究です。大量のデータと統計分析を駆使して、ばんばん論文を書きました。そして研究に関しては、私の頭の中の基本的な部分は、理学部で形成されたと思っています。そのため、質的研究をやっても、量的研究と併用しないと、とても不安でしょうがありません。現在の西川研究室で行っている、量的研究と質的研究の併用、そして具体的な方法論は、私の経歴の特異さに依存していると思います。でも、本当は、そう思っているだけで、やはり場が作り上げたものかもしれません。